橋梁哨についていると、毎日水桶を担いで橋を渡る村人達と顔なじみになる。時には腰を下して一服吸う相手と会話の練習をしたりした。会話といっても無理矢理此方に合わせてしまう。
「アオイ、アオイ、イボイボでなあ」と手で長さを示すと、「胡瓜」になる。仕舞いに、何でも日本語二つ重ねると中国語になるらしいと言い出して、「ウオーデ(私)サムイサムイでなあ」と肩をちゞめると、「おう、明白(ミンパイ、わかったの意)々々」と肯(うな)づいた。
村の娘にイッポカイチエンという仇名の子が居て、結納金が百円だというのだ。明るい可愛いい子で洗濯当番の日は遠くから「シーサーン」と呼びながら駈けてきた。
やがて婿が現われた。隣村の青年である。クリークを着飾った村人たちを乗せた舟が近付いてくる。ドラやカネが賑やかに鳴り、「おう、イッポカイチエンもお目出度(めでた)か」と皆で噂していると、村の男が血相かえて飛んできた。
「本大人、来て下さい」
「何事だ」「結納金のことでもめてます」
婿の一行は軒先まで来て、百円は高いから五十円に負けろと言い出した。母親は怒って、家へ入れないと言ってる、という。
仕様がねえなあ、と舌打ちしながらついてゆくと、案の定、婆さんが目を吊り上げて大手を拡げて門先に立ちふさがっている。約束が違うというのだ。
婿の一行は呆然とした様子で佇(たたず)んでいる。そこで一喝した。「この目出度い席で結納金負けろとは何事だ、一旦は約束したんだろう。娘の気持になってみろ」
一同ハアとなって百円差出した、ちゃんと用意したのだが、いよいよとなって惜しくなったらしい。
惣(たちま)ち婆さんもニコニコ顔で、どうぞどうぞ、用意した馳走の席について万事解決、やがて、カネとドラの音に送られてイッポカイチエンは隣村に嫁いでいった。
洗濯どきが一寸(ちょっど)淋しくなった。
明るい間はこうして長閑(のどか)な江南の農村だが、夜の幕が降りると一変する。
日中の笑顔が厳しい闘士の表情になる。今日でもイラクの都市で銃を構える米軍兵士の目にはそれが見えている筈だ。その立場を日本の自衛隊に交代したい。それがブッシュの本音だ。
はいはいと従って堪(たま)るか。
民衆の心に、中国もイラクもパレスチナも変りない。暗闇の瞳を態々(わざわざ)招く必要はない。
(つヾく)
(「わんぱく通信」編集長)