2007年09月14日発行1002号(2007年9月21日号)

【靖国合祀取消へ、ノー・ハプサ(合祀)訴訟 戦争神社から父の名の削除を】

 韓国人遺族が日本政府と靖国神社を相手に合祀取り消しを求めて2月に提訴した「ノー!ハプサ(合祀)」訴訟。その第1回口頭弁論が9月7日、東京地裁大法廷で開かれ、韓国から来日した原告3人が意見陳述を行った。戦争神社靖国を裁く闘いの本格的なスタートだ。

遺族の無念さ晴らす 口頭弁論

 開廷の午後4時。100弱の大法廷傍聴席はすべて埋まった。開廷前、傍聴を求める列には、支援者に加え政府・神社職員やおそろいのスーツに胸に菊のバッジの右翼の姿も。被告側の危機感の大きさを改めて示した。

 初めに原告3人が意見陳述を行った。

 父親が植民地支配の下、軍属として徴用され、1944年に戦死したユン・オクチュンさん。生死確認は00年。

 ユンさんは合祀について「抗議の意思を表明しようと昨年、靖国神社を訪問しました」と語った。ところが、靖国訪問の際、日本人から「汚い朝鮮人は帰れ」と罵声を浴びせられる。

 「遺族である私が訪ねてなんでこんな扱いを受けなくてはならないのか。あまりの憤りで眠ることができないほどでした。遺族の意思も問わないまま、なぜ父の魂を祀っているのか理解できません。私の家族は私たちのやり方で父の魂を祀りたいだけなのです」と、怒りで声を震わせた。

父をきちんと祀りたい

 続いて、ヨ・ミョンファンさん。父親の死亡通知が44年に届くが、合祀を知ったのは、通知から60年余の後だ。

 「合祀の事実を思うと、その悔しさは言葉では言い尽くせないほどです。父親の名前を削除して、私が生きている間に父をきちんと祀ることができるよう正しい判断を下していただきたい」と述べた。

 最後は、父親が44年に強制徴用され、翌年、中国で亡くなったイ・ヒジャさん。合祀を知ったのは97年のこと。

 「裁判長、私はこの20年間、身一つで武器を持たずに日本と戦争してきました。日本のせいでわずか24歳で戦地で死なれた父の足跡を探し、名誉を回復するために闘ってきました。日本によって父を失ったことが無念で、日本政府と靖国神社に責任を問おうと、多くの助けを得て法廷に立っています」と、裁判長に正当な判断をするよう求めた。

 原告の陳述に傍聴席から拍手が寄せられた。

遺族に正当な扱いを

 原告弁護団も弁論に立つ。

 大口昭彦弁護団長は「国は原告遺族らに対し、正式の死亡通知という最低限のことをしていない。訴状で礼を持って通知することを求めたが、国は『それはどういうことか』と求釈明している。人に聞かないとわからないことなのか、恥ずかしい限りだ。人間としての真心に立った対応をすべきだ」と、国・靖国神社の姿勢を批判した。

 続いて、内田雅敏弁護士は「裁判では、靖国神社が憲法20条が保障する一宗教法人といえるのか確認してほしい」と、裁判の争点を強調した。

 被告側は靖国神社代理人が「本件は宗教団体に対して、宗教行為を裁判の場で議論する不当なもの。ただちに終結すべきだ」と主張。これに対し、大口弁護団長は「靖国神社は一般的な宗教法人として論じることはできない。20条が保障する宗教法人といえるのか」と反論を展開した。

 次回口頭弁論は11月19日。

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