2007年09月28日発行1003号 books

どくしょ室 / なぜ合祀取消し訴訟なのか

『ドキュメント靖国訴訟 戦死者の記憶は誰のものか』
田中伸尚著 / 岩波書店 / 本体1900円+税

 2002年5月、小泉首相(当時)の靖国神社参拝の問う裁判の第1回弁論で、原告のキム・ギョンソクさんは「靖国神社はどんな権利で、誰の同意を得て、私たちの同胞を英霊にしているのですか? 死んでまで同胞を強制連行し続けるのですか?」と訴えた。靖国問題の根っこに、(無断)合祀があることが鮮明になった瞬間だった、と著者は指摘する。

 本書は「靖国訴訟」を長年取材してきた著者が、遺族原告への取材や裁判の論点整理を通して、合祀という靖国問題の核心に迫った一冊である。

 これまでの「靖国訴訟」は、首相の靖国参拝が違憲かどうかが争点だった。首相が公務として特定の宗教に対する宗教的行為を行うのは日本国憲法の政教分離原則に違反している、という訴えである。

 だが近年、アジアの戦争被害者を原告に加えた裁判は、靖国神社への戦死者合祀そのものの取り消しを求めている。「思想・良心の自由、信教の自由、プライバシー権、民族の文化権などを根拠に、戦死者を家族の元に取り戻し最終的には『追悼の自由』の獲得をめざしている」のだ。

 たしかに、靖国神社への合祀とは「戦死者の記憶」を国家が一方的に奪い、「天皇・国のための死者」として顕彰するシステムである。そうすることで遺族の悲しみや怒りを回収し、国に感謝するように仕向けるというカラクリだ。

 著者が指摘するように、「国のための死」を称えることは、裏を返せば「他者を殺すこと」を称えるということだ。そうした精神面からの戦争動員装置の役割を靖国神社はかつて果たしてきた。その復権を日本政府は今、本格的な軍事大国化の一環としてめざしているのである。

 「国のために死んだ者を国家が追悼するのは当然だ」とする靖国思想。その呪縛を破るきっかけとなったのが、日本の植民地支配によって肉親を奪われた韓国・台湾の遺族からの合祀取り消し要求であった。そして、遺族の了解もなく戦死者を英霊と意味づけて合祀し続けることは、自由に追悼する遺族の心(権利)を奪い、死者を政治的に利用する行為だ、という認識が日本の遺族原告の間でも共有され始めたのである。

 各種靖国訴訟の判決をみても、一般論とはいえ「追悼の自由」を公権力によって侵害されない権利だと認める判断が出るようになった。「戦死者の記憶は誰のものか」を問う新たな靖国訴訟の幕が上がったのだ。

 新たな合祀取り消し訴訟(ノーハプサ訴訟)にのぞむ原告のイ・ヒジャさんは「正義と不正義が闘うときは、正義はいつも辛いことが多いのですが、それを一つ一つ闘うことで克服していけると信じています」と語る。靖国問題の何たるかを学び、裁判闘争の支援を広げるために、本書は必読の文献である。  (O)

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