2016年10月21日発行 1449号

【安倍演説とシン・ゴジラ/自衛隊賛美のムードづくり/戦争法制下の「国策映画」】

 いまだ話題の尽きない『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)。自衛隊が大活躍する映画のヒットに安倍晋三首相も気をよくしており、「自衛隊に対する国民の信頼が背景にある」と“分析”してみせた。この映画の制作にあたっては、防衛省・自衛隊が企画の段階から全面協力している。彼らはいかなる自衛隊像を観客に印象づけようとしたのか。

自衛隊が全面協力

 「いま話題の映画『シン・ゴジラ』でも自衛隊が大活躍していると聞いています。統合幕僚長以下、自衛隊員の皆さん、格好良く描かれていると伺っています。このような人気もまた、自衛隊に対する国民の揺るぎない支持が背景にあるのだと思います」

 安倍首相は9月12日、自衛隊高級幹部との懇親会でこうあいさつした。たしかにネットを巡回すると、「自衛隊のかっこよさに泣いた」とか、「日本国民の生活を守り助けてくれるヒーローのような存在」といった感想をいくらでも拾うことができる。

 映画制作に全面協力してきた防衛省・自衛隊にしてみれば、「してやったり」の反応であろう。自衛隊の映画協力に詳しい須藤遙子(のりこ)・筑紫女学園大准教授は「防衛省が協力した映画では、自衛隊は善玉として描かれるのが前提。強くて優しく、法律を守るという模範的なイメージに少しずつ近づいてきた。シン・ゴジラはその路線の集大成」と指摘する(10/6朝日)。

 防衛省広報課は「国民の生命、財産を守るために自衛隊が立ち上がる姿を描いており、自衛隊の信頼向上につながるありがたいシナリオだった」(同)と説明するが、実際には彼らの「協力」はもっと能動的だ。映画の内容にもしっかり口を出している。

 その実例を須藤准教授の著作『自衛隊協力映画』(大月書店)を参考にみていく。防衛省・自衛隊の要求水準が時代とともにエスカレートしてきたことがよくわかる。

脚本に細かい注文

 自衛隊の映画協力について、防衛省は「その内容が健全妥当であること」「防衛思想の普及高揚となるもの」などの観点から当否を判断している。「訓練の一環」という名目で行われるため対価は要しない。映画のために動かす部隊や戦車等の経費は税金で負担しているということだ。

 大サービスするだけあって、防衛省はシナリオの細かいところまで映画制作者に注文を出す。物語や人物設定、セリフに至るまで、自衛隊のイメージに傷がつくようなものは極力回避または排除するような指導が行われる。

 96年の『ガメラ2 レギオン襲来』を例にとると、この映画を通じて「一般人に与えるべきイメージ像」を防衛庁(当時)は次のように規定していた。「緊急事態に際しては、自衛隊が全力で事態収拾にあたる姿をイメージづける」「超法規的な運用を避け、たとえ緊急時においても遵法的な自衛隊のイメージを与える」「銃火器の使用については、あくまでも命令により行い、統制のとれた厳正な使用をイメージづける」等々。

 完成した映画の中で、自衛隊はこれまでの怪獣映画では見られなかった活躍を見せる。積極関与は大成功だった。それでも一部の幹部は不満だったようだ。自衛隊も健闘するが、侵略怪獣を倒すのはあくまでもガメラ。それが気に入らなかったらしい。米国版の『GODZILLA』(98年)では米軍がゴジラにとどめを刺す。そんな役割を自衛隊に期待する声も隊内から上がるようになっていた(『陸戦研究』99年9月号)。

 そして今回の『シン・ゴジラ』において、自衛隊はついに怪獣撃退の主役となる。映画前半の頼りない政治家や官僚たちの描写とは対照的に、自衛隊は「頼もしいプロフェッショナル」として描かれる。「この国を守ることができる最後の砦です」なんて決めゼリフまである。

 法律に則って自衛隊が行動していることを強調する点は「平成ガメラシリーズ」と同じだが、今回の映画ではその法律が現実に即していないことを印象づける演出が目立つ。「現在の法制度では緊急事態に対応できない」「自衛隊の足を引っ張る政治家や法律は要らない」−−そんなイメージを刷り込む仕掛けが随所に施されている。

 かくして『シン・ゴジラ』は防衛省・自衛隊の要求に高い水準で応える作品に仕上がった。しかもメディアが注目する大ヒット。安倍首相が大満足するのもうなずける。

3・11の記憶を改ざん

 東宝映画企画部長の山内章弘は、福島原発事故から『シン・ゴジラ』の着想を得たと明かす(9/6ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)。「政府は(対応の)まずさばかりが批判されたが、そこで力を発揮して立ち回った人たちがいた。その人たちがいたおかげで今の日本がある」というのである。

 なるほど、核怪獣ゴジラの「冷温停止」に挑む映画後半の展開は福島原発事故を想起させる。だが、映画は3・11を追体験させるだけにとどまらない。「自衛隊に象徴される男たちの犠牲的・英雄的な行動が日本を救った物語」というように、記憶の上書きを狙っているのである。映画は「国民の記憶=歴史」を構築する装置と言われるが、まさに安倍政権の戦争政策に合わせた歴史の修正が行われようとしているのだ。

 先日、安倍首相が所信表明演説で自衛隊への敬意を表そうと呼び掛け、自民党議員が起立・拍手で応える一幕があった。日本人なら自衛隊を敬うのは当然であり、拒む者は非国民−−そんなムードを首相自ら作り出そうとしている。同じ役割を『シン・ゴジラ』も担っている。やはり戦争法制下の「国策映画」というほかない。      (M)
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