2016年11月11日発行 1452号

【非国民がやってきた!(244)ジョン・レノン(7)】

 当時、イギリスでは北アイルランドに対する差別と、これに抗議する運動も盛んでした。1971年8月11日、ジョンはロンドンでカトリック弾圧に抗議するデモに参加しました。イギリス軍がアルスターでカトリック系住民を武力弾圧したからです。オクスフォード通りのデモ隊は「民衆に力を(Power to the People)」と連呼したと言います。ジョンの作品につながります。

 1972年2月5日、ジョンとヨーコは「血の日曜日事件」抗議デモに参加しました。血の日曜日事件とは、1972年1月30日に北アイルランドのロンドンデリーで、差別撤廃デモに対してイギリス軍が発砲して、13人の市民を殺害した事件です。北アイルランドでは大暴動に発展しました。

 アイルランドにルーツを持つジョンは事件を聞いて衝撃を受け、「血まみれの日曜日」の制作に着手しました。――デモ隊は武器を持たずに平穏に行進していたのに、イギリス軍は無防備なデモ隊に発砲した。北アイルランドはアングロ・サクソン人に植民地にされている。アイルランドをアイルランド人の手に返すべきだ。ジョンは、英国海外航空(BOAC)ニューヨーク支店前で開かれた抗議集会で「血まみれの日曜日」を歌いました。

 北アイルランド問題は現在では落ち着いていますが、2014年のスコットランドのイギリスからの独立の可否をめぐる住民投票や、2016年のイギリスのEU離脱をめぐる国民投票のため、再び脚光を浴びています。

 スコットランドの住民投票は一度限りの約束で実施され、独立反対票が55%を占めて、独立は否決されました。ところが、イギリスのEU離脱が可決されたため、前提条件が大きく変化しました。EU残留を求める票の多かったスコットランドでは、再度、独立をめぐる住民投票を求める動きが出ています。ここではスコットランドがイングランド&ウェールズに植民地にされた歴史が浮上します。

 そうなると北アイルランドでも世論が沸き立ちます。スコットランド以上に、北アイルランドこそイングランド&ウェールズに植民地化され、長年にわたって差別されてきたからです。かつてアイルランド全体が植民地にされましたが、1921年にアイルランド共和国の独立が認められました。ところが、北アイルランド6州はイギリスに留まりました。アイルランド分割です。北アイルランドにはプロテスタントが多かったためです。カトリックは少数派となり、政治的にも経済的にも差別されてきました。

 1968年、カトリック系住民が差別撤廃を主張して立ち上がったため、宗教対立に波及しました。北アイルランドの自立を求めるカトリック系住民に対して、イギリス側は強硬姿勢を取り、軍を導入したのです。アイルランドに対する植民地化、民族差別、そして宗教対立が重なる深刻な問題です。

 70年代に入ると、アルスター事件や血の日曜日事件が相次ぎ、ジョンとヨーコは差別と弾圧に抗議する運動の前面に出ることになりました。ホテルの一室で「ベッド・イン」するのとは違い、集会と路上における運動です。ジョンは「血まみれの日曜日」の売り上げをアイルランド独立運動の「アイルランド共和国軍(IRA)」に資金提供しました。

 数年後、IRAは武装闘争に乗り出し、テロ組織として世界に名を馳せることになりますが、その時期にはジョンはIRAと接触していません。

<関連映画>
『麦の穂をゆらす風』(監督:ケン・ローチ、2006年)

<参考文献>
ジェイムズ・ミッチェル『革命のジョン・レノン』(共和国、2015年)
ジョナサン・コット『忘れがたき日々――ジョン・レノン、オノ・ヨーコと過ごして』(岩波書店、2015年)
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