2016年11月25日発行 1454号

【元日テレアナウンサー小山田春樹のあなたの知らないTVの世界(2)/最大のピンチ 台風で原稿が消えた!?】

 「大型で非常に強い台風10号は、毎時15キロのスピードで東北東に向かって進んでいて、間もなく高知県に上陸する見通しです。中心気圧は955ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50メートル…」。私は、2分30秒の中継リポートを終えると、真っ青な顔をして気象庁の担当官の元へ走った。

 「私の放送ご覧になっていましたか?」「ええ、流石(さすが)アナウンサーの出身だけあって落ち着いていて上手ですね」「あの、台風情報のデータ間違っていませんでしたか?」「はい、私が説明した通りに話してらっしゃいましたよ」

 私は、ほっと胸をなで下ろして、雨でずぶ濡れになった顔をハンカチで拭いていた。

 私は、台風情報の生中継で実に恐ろしい体験をしたのである。私は気象庁の担当官に取材をして、最新の情報をメモ帳に書き込んでいた。本番では、そのデータを基に話をまとめてリポートする予定だった。屋内でリハーサルを終えると、臨場感を出そうとのディレクターの指示で、気象庁の外に出て大雨の中で本番を迎えた。カメラに向かって話し始めメモ帳に眼を落とすと、何と!文字のインクが雨で流れてしまい何も残っていないのだ。泣きたい気持ちだが絶句せずに、私は記憶を頼りに最後までリポートした。

 幸い記憶に誤りは無かったが、私は重大な失敗をしでかしたのである。記憶違いから誤った情報を全国に放送してしまっていたらと思うと、恐ろしくなった。それ以来、私はメモを取る時は必ず油性のボールペンを使い、水性のサインペンは使わなくなった。

 アナウンサー、リポーターなど喋(しゃべ)る仕事に消しゴムは無いと言われている。生放送で一度発せられた言葉は訂正しても、多大な影響力は残るのだ。それだけにミスをした場合、個人の責任が厳しく問われる世界だ。NHK紅白歌合戦の司会で、都はるみさんを美空さんと呼んでしまったアナウンサーがいたが、私は同情に堪(た)えない。この仕事は、どんなに厳しい状況に追い込まれても誰も助けてくれないのだ。ノーアウト満塁になったら、自分の力でアウトを3つ取らなければいけない孤独の闘いだ。野球投手の立場に似ているように思える。プロ野球投手と結婚する女性アナウンサーが多いのはうなずけるような気がする。

 生放送の前には生もの料理を食べない。本番前にエレベーターに乗らない。車を運転してはいけない。急いでいても走ってはいけない。水分を取り過ぎてはいけない。究極の自己責任社会は疲れる。  (筆者はフリージャーナリスト)
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