2017年03月10日 1468号

【「工事をやめろ」「博治を返せ」の声を 2月のZENKO沖縄参加団】

 2月のZENKO沖縄参加団は辺野古などへの連帯訪問に加え、2月24日那覇市で、長期勾留の山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)らの釈放を求める集会・デモにも参加した。ZENKO兵庫の三橋英子さんの報告を紹介する。

 連帯行動の2日目、2月25日(辺野古キャンプ・シュワブゲート前)のワンシーンから報告しよう。

 基地ゲート前の座り込みで機動隊に「ごぼう抜き」されるときの心境(恐怖心・怒り・屈辱感など)は、個々人によって大きく異なる。「無理をしないで。嫌な人はあえてすわり込まなくていい」―現地世話役のZENKO沖縄Hさんは参加者の表情を注意深く観察してくれていた。

 初参加のNさんは「怖くて怖くて震えがとまらない」と言って、列を離れ対岸の歩道へ避難した。私自身4回目の辺野古行きだが、「ごぼう抜き」は初めての体験だ。両腕を2人の機動隊員に引っ張られて両足の膝部分を路面にこすりながら引きずられていった。「あんたらこんなことをして恥ずかしいと思わないの」。屈辱感で涙が出てきた。同行のDさんは、機動隊に向き合って大声で抗議の説得をしていたが、私は悲しさで言葉にならなかったのだ。

 さて24日金曜日は那覇地裁前の城岳(じょうがく)公園で山城博治議長ら3名の釈放を求める集会・デモが2千人の参加者で行われた。4か月以上の不当勾留が続く山城さん。「独房のあまりの寒さにありったけの衣服とカイロの差し入れを求めたが、カイロは前例がないと差し入れが5日間も遅れた」と弁護士でもある照屋寛徳衆院議員が話した。暖房も毛布もないのか。リスクの高い病気を持つ山城さんへの不当な扱いに私は唖然とした。

 政府・警察・検察・司法ぐるみの弾圧に参加者の怒りは頂点に達していた。集会終了後すぐにデモに移らず、目の前の地裁敷地に参加者がなだれ込んだ。多くの人の波に裁判所の制止が間に合わなかったらしいが、それは1987年沖縄海邦国体の時に起きた「日の丸焼き捨て」事件の公判以来30年ぶりという。私たちも後方から合流して「博治を返せ」とシュプレヒコールし、『座り込めここへ』などの歌を大合唱した。

 山城さんへの弾圧が逆に私たちの団結を強めている。オール沖縄と本土を結びつける闘いに私たち自身が参加していることを肌で感じた感動の場面だった。



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