2019年06月21日 1580号

【川崎殺傷事件/「一人で死ね」の危うさ/安倍応援団が煽る究極の「自己責任」論/政治の責任隠す、戦争国家の論理】

 川崎市多摩区で発生した児童ら20人殺傷事件をきっかけに「一人で死ね」との非難が噴出している。自殺願望者の犯行と決めつけ、「誰も巻き添えにせず、勝手に死ね」というのである。凶悪犯罪への怒りが「自己責任」論に結びつけられる―。それはまさに「落後者は迷惑をかけずに自決せよ」という戦争国家の論理にほかならない。

勝手に死ねの大合唱

 川崎の事件の容疑者は犯行直後に自殺した。犯行声明や遺書の類は見つかっていない。動機は不明、解明も難しいということだ。だが、メディアでは「社会に絶望した“ひきこもり中年”が他人を巻き添えに死んでいった」との解釈が早い段階で広まっていた。「死にたいなら一人で死んでくれよ」との批判はこの文脈で飛び出したものである。

 そうした非難は控えてほしいと訴えるネット記事もあった。執筆者はNPO法人「ほっとプラス」の藤田孝典代表理事。孤立した人びとをさらに追い詰めてはならないという趣旨での投稿だったが、これが論争に火をつけた。

 フジテレビの安藤優子キャスターは「社会すべてを敵に回して死んでいくわけですよね。だったら自分一人で自分の命を絶てば済むことじゃないですか」と発言。橋下徹・元大阪市長も「やむにやまれず自分の命を絶つときは他人を犠牲にしてはならない。死に方というところを教育することが重要」などとテレビ番組で語った。

 ちなみに橋下の盟友である松井一郎・大阪市長も府知事時代の2012年6月、通り魔殺人犯に対し「死にたいなら自分で死ねよ、と。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と述べている。類は友を呼ぶとはこのことだ。

 タレントの松本人志も自身の番組で、おぞましい発言をした。「僕は、人間が生まれてくる中でどうしても不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがないと思うんですよね」「それを何十万個、何百万個に1つぐらいに減らすことは、できるのかなあって、みんなの努力で」

 人間をモノ扱いし、「不良品」の排除を求める――むきだしの優生思想というほかない。「旧優生保護法は憲法違反」と断じた判決(5/28仙台地裁)は何だったのかと、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

社会的要因を無視

 法務省が2013年に公表した「無差別殺傷事犯に関する研究」という論考がある。2000年からの10年間で判決が確定した無差別殺傷事件について、刑事施設に入所した52人の属性、動機、犯行の背景などの実態を調査したものだ。分析の結果、次のような共通パターンが浮かび上がってきたという。

 「誰からも相手にされないという対人的孤立感」「誰にも必要とされていないという対人的疎外感」「失職したことを契機とする将来への不安」「生活に行き詰まり、生きる気力を失った絶望感」「努力しても何も報われないという諦め」「職場でのいじめやストレスへの怒り」「自分だけがみじめな思いをしてきたのに周りがぬくぬくと生きているという怒り」等々。

 いかがであろう。サンプル数が少ない限界はあるものの、凶悪犯罪の背景に社会的な要因があることが読み取れるのではないか。今回の事件を機に注目された「中高年のひきこもり増加」にしても、就職氷河期や雇用の不安定化といった事情が関係している。

 だが、「一人で死ねよ」論は社会的な背景を一切斟酌(しんしゃく)しない。究極の「自己責任」論だ。その大合唱に安倍応援団の多くが加わっているのは、人びとを冷酷に切り捨て、絶望と孤独に突き落としている政治の責任を隠す意図があるのではと思えてくる。

もはや殺人教唆

 川崎の事件から4日後、おそれていたことが最悪のかたちで現実化した。東京都練馬区で、76歳の父親がひきこもり状態にあった44歳の息子を殺害したのである。父親は農林水産省の元事務次官。取り調べに対し「川崎の事件が頭をよぎり、息子が周囲に危害を加える恐れがあると思った」と供述しているという。

 「自己責任」論が追い詰めたとも言える悲劇だが、「一人で死ね」と煽った連中は何の反省もしていない。たとえば橋下は「僕が同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない」と擁護した。これは決して親の立場で容疑者を思いやるコメントではない。彼は自著(06年出版『まっとう勝負!』)でこんな主張を開陳していたからだ。

 「他人様の子どもの命を奪うほどの危険性がある奴に対しては、そいつの親が責任を持って、事前に世のなかから抹殺せよ!」。「世のなかに代わって、異常・危険分子を排除した」親に拍手を送ってもいい、とも…。橋下が後に、人命軽視と家庭への責任押しつけを特徴とする安倍改憲路線のパートナーになるのは必然だったといえる。

   *  *  *

 アジア・太平洋戦争中の日本軍では、「処置」と称した自軍傷病兵の殺害や自殺の強要が横行した。「戦闘の足でまといになる者は死ね」というわけだ。あのインパール作戦では落後者捜索隊なるものが編成され、「歩けない者には自決を勧告し…ちゅうちょすれば強制し、応じなければ射殺した」(『インパール兵隊戦記』)という。そうした軍隊の論理が住民に向けられたとき、沖縄戦などにおける集団強制死が発生した。

 「一人で死ね」という主張が「乱暴だけど正論」視される風潮は、この国の戦争国家化が思想面でも進んでいることのあらわれである。命を軽んじる言説を容認してはならない。「死んでもいい奴」などいないのだ。   (M)



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