2019年07月19日 1584号

【非国民がやってきた!(310)国民主義の賞味期限(6)】

 西川長夫や酒井直樹を先陣として、少なからぬ知性が国民主義と植民地主義の弊害を指摘し、その克服のために提言を試みてきました。学ぶべき論考は多数ありますが、その一部を見ていきましょう。

 内海愛子(大阪経済法科大学特任教授)は、「敗戦後、英米など連合国は極東国際軍事裁判をはじめアジア各地で戦争裁判を開き、日本の戦争犯罪を裁いた。だが、朝鮮、台湾支配は審理からはずされたばかりか、朝鮮人を『日本人』として裁いた。裁かれなかった植民地支配……植民地認識をひきずったまま、戦後、日本人は『民主主義』を学び、『平和憲法』を手にした」と始めます。

 同じようなことを述べてきた論者は数えきれないほどいますが、内海の指摘には、しっかり確認しておくべきことが含まれます。

 第1に、極東国際軍事裁判(東京裁判)以外に、各地で多くの戦争犯罪裁判が行われたことです。国内では横浜裁判がありますが、アジア各地でBC級戦犯が裁かれました。内海や林博史(関東学院大学教授)の研究が代表的です。

 第2に、BC級戦犯裁判において、朝鮮人が日本人として裁かれたことです。日本軍軍属として派遣され、収容所管理を手伝わされた朝鮮人が「捕虜虐待」で訴えられた例が多くあります。大日本帝国「臣民」とされ、日本軍兵士として特攻作戦に赴いた朝鮮人もいました。カイロ宣言では朝鮮人民の奴隷状態が指摘されていました。解放されたはずの朝鮮人が、当時は日本人とされていたがゆえに、加害者側の一員として裁かれたのです。その時、日本国内では旧植民地出身者の選挙権を停止し、「国民」主権の憲法が制定され、国籍剥奪に向けて密かに準備が整えられていました。日本国による保護を剥奪され、祖国が存在しない状態に置かれた朝鮮人は、連合国による裁きを受けました。日本国によって刑を執行され、恩給その他の諸権利も剥奪されました。このことを内海は確認しています。

 第3に、内海は「民主主義」と「平和国家」に鍵括弧をつけています。日本国憲法によって実現した「民主主義」と「平和国家」。戦後を生きた人々にとって眩しい「民主主義」と「平和主義」。いまなお守り続けなければならないはずの「民主主義」と「平和主義」。

 なぜ内海は鍵括弧をつけたのでしょうか。「植民地認識をひきずったまま」という表現が直接的な答えですが、このことの意味をさらに深く問う必要があります。内海は次のように述べます。

 「日本人の朝鮮認識、そこには継続する植民地認識にくわえて、戦後の分断された朝鮮半島への視線がある。朝鮮の地を戦場にくり広げられた惨状に目が向かなかったばかりか、『隣』に住む在日朝鮮人の存在が見えていなかった。彼らの苦難苦渋を共に担い、闘った日本人はごく少数である。」

 第1に、朝鮮半島の分断が日本にとって持った意味です。分断を引き起こしたのは直接的には米ソの対立とされますが、植民地宗主国だった日本の植民地喪失過程に由来する問題です。統一朝鮮国が樹立されていれば日本に問われたはずの植民地支配犯罪、植民地支配責任が凍結されるという「恩恵」に与ることになりました。

 第2に、朝鮮戦争で、日本は国連軍という名の米軍の兵站基地となっただけでなく、朝鮮特需のおかげで火事場泥棒よろしく経済復興を手にしたのです。

 第3に、在日朝鮮人に対する排除、迫害、弾圧、差別が吹き荒れたことは言うまでもありません。

 これが「民主主義」と「平和国家」の実態ではなかったか、と内海は問いかけます。

 過去の植民地支配だけでなく、植民地主義の未清算が現在の植民地主義を繁殖させていないか。歴史と現在がないまぜになりながら、現在の「民主主義」と「平和主義」を変質させていないか。このことが未来への展望に立ちふさがっていないか――内海の問いは、その先へと続きます。

<参考文献>

内海愛子・中野晃一・李泳采・鄭栄桓『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』(彩流社、2019年) 
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