2008年08月15日発行 1047号

【『蟹工船』では見えないこと/「出口なき孤独」という現代の地獄/必要なのは「生きる」ための連帯】

 作家小林多喜二の代表作『蟹工船』が話題を集めている。この 2か月で文庫本が30万部も売れたというから、たしかにブームといってよい。読者層の中心を占める若者たちは、80年前のプロレタリア文学をどう読んだの か。彼らが『蟹工船』に感じた「共通点」と「違い」について考えてみたい。

読者の共感と違和感

 貧しい人々が蟹工船に集められ、働かされる。労働者は手数料や布団代などを周旋屋(今でいう人材派遣会社)に取られ、働く前から借金を負わされる。仕事 場はまさに無法地帯。酷使のはてにケガをしても、会社に言いなりの医者は診断書も出さない…。

 『蟹工船』が描く非人間的な労働の実態は、現在の若年労働者が直面している状況とよく似ている。ある派遣社員の女性(29歳)は「読んでみると、あまり にひどい労働環境や労働条件、親方のピンハネに、自分を重ね合わせてしまいました。私のいいたいことを代弁してくれている」と語る(引用は「女性セブン」 7/10号より。以下同じ)。

 「会社にとってぼくたちは誰でもよくて、人数さえそろっていれば、ぼくがやめても何も困らない」。こう話すのは、社内いじめを受けて退職した経験を持つ 21歳の男性だ。彼は『蟹工船』を読んで明るい気持ちが出てきたという。「そんなぼくたちでも、もし何かあれば、仲間同士で団結して大きな力に向かってい くことができる」

 一方、労働者が団結してストライキに立ち上がるという展開になじめない、という感想も少なくない。「話が古くさくて心に響かなかった。…わかりやすい悪 役の監督がいて、で、最後に正義は勝つ!みたいな。道徳の教科書読まされているみたい」(31歳女性・派遣社員)等々。

 『蟹工船』に対する読者の違和感。その正体を詳しくみていこう。

孤絶した今の若者

 「団結とか連帯なんていう言葉すら知らない…。いや、その言葉に不信さえ感じている」。こう書いたのは、今年1月に開催された「『蟹工船』エッセーコン テスト」で大賞に選ばれた山口さなえさん(25歳/東京都)だ。

 『蟹工船』には「あたたかい人間味を感じる場面が沢山出てくる」と山口さんは書く。酷使にあえぐ労働者たちが、つかの間の休息時に、故郷で待つ家族から の便りに涙したり、わが子の写真を見せ合うくだりのことだ。

 そうした「同じフィールドで共有できるもの」が蟹工船の労働者にはあった。だから「彼らは仲間を作ることができた」し、一斉に立ち上がることができた。 しかし今の若者たちには、その「共有できる何か」が「ほとんど存在しない」と山口さんは言う。

 「まるで人間性を喪失した世界を浮遊する、見た目生きているのか死んでいるのかすらわからない物体」「他人に干渉しない、ひたすらに自己責任に縛られた まま出口のない孤独の日々をふわふわと泳いでいる」。それが今の私たちだ、と言うのである。

 山口さんの指摘にあるように、『蟹工船』の時代とグローバル資本主義の現代では労働者を取り巻く状況に決定的な違いがある。

 「価値なき者は去れ」という資本の論理が社会の隅々にまで及んだ今日、人々は幼少期から競争に駆り立てられている。個々人はバラバラに分断され、脱落す れば「自己責任」と切り捨てられる。それゆえ出会う相手はすべて、出し抜いたり出し抜かれたりする対象としか映らない。

 そうした現代の「生きづらさ」、連帯の難しさを理解せず、「君たちも『蟹工船』に学んでガンバレ」と言ってみても、当事者にはただの説教としか聞こえな いだろう。『蟹工船』の労働者は「地獄さ行ぐんだで」と言って奴隷船に乗り込んだが、今の若者にはこの世界そのものが「出口のない孤独の日々」という地獄 なのかもしれない。

人間性回復の闘いを

 もちろん、『蟹工船』に素直に共感できないという者も、闘いが必要なことまで否定しているのではない。前述の山口さんは、1人で労働組合に加盟して会社 と団体交渉を行い、残業代を支払わせた若者の存在を知り、「この小さなニュースが『ポスト蟹工船』の物語のような気がする」と結んでいる。

 職場や学校で「お前はダメだ」と言われてきた者が、仲間の支えを得て会社と交渉し、要求を実現していく。このことを通して、あきらめや自己否定の意識を ふり払っていく。現代の『蟹工船』は、そうした人間性回復の闘いとして始まるのではないだろうか。

 分断のために見えにくいが、今の若者たちにも当然「共有できる何か」はある。それは「人間らしく生きたい」という欲求だ。勇気を持って声を上げれば、思 いを共有できる仲間は必ず見つかる。実際、ワーキングプアの逆襲というべき非正規雇用労働者の闘いが、社会的に大きな広がりをみせているではないか。

 「殺されたくないものは来(きた)れ!」。そう叫んで『蟹工船』の労働者は立ち上がった。今、グローバル資本主義に対して必要なのは、「人間らしく生き る」ための連帯である。    (M)


【『蟹工船』あらすじ】
 昭和初期、オホーツク海で操業する蟹工船(カニをとり、缶詰に加工する工場船)は、貧しい農村等からかき集めた労働者に過酷な労働を強い、暴利をむさ ぼっていた。やがて労働者たちは団結しストライキを行う。一度は海軍によって鎮圧されるが、彼らは再び闘いに立ち上がっていく。

 小林多喜二(1903〜33)
 日本のプロレタリア文学を代表する作家。非合法下の共産党に入党し活動するが、特高警察に逮捕され、拷問によって殺された。
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