2008年11月14日発行 1059号

【金融主導型グローバル資本主義の危機 代案は民主主義的社会主義】

 米証券会社のリーマン・ブラザーズの破産をきっかけにして世界中に広がった今回の経済危機 は、単なる金融危機であることを越え、今や経済活動全体に波及しつつある。今回の危機はしかし、突如として起こったのではなく、金融主導型グローバル資本 主義の破綻を示すものだ。

危機の本質は資本の過剰

 1987年の株価暴落(ブラックマンデー)、1998年のアジア通貨危機、2000年のITバブルの崩壊、そして昨年のサブプライムローンの破綻など、 投機の破綻にともなう局所的な危機は過去20年間に断続的に起きてきた。そしてバブルがはじけるたびに、貨幣資本はその短期的な投資先を、株、為替、 IT、住宅ローン、果ては原油や穀物などの先物取引へと広げていった。

 貨幣資本のこうした膨張運動から、今回の全般的恐慌の本質的な原因が資本の過剰にあることが見てとれる。資本にとって有利な投資先・融資先が実体経済の 中に見いだされないため、その過剰な資本が生産的な投資以外のあらゆる投機的取引に投下され、バブルをくり返し生み出してきたのだ(図1参照)。

 グローバル化でコスト削減

 過剰な資本の形成は、1970年代初めの先進国における高度経済成長の終焉にまでさかのぼる。自動車や家電といった従来の主力産業では企業の利潤が低下 したため、銀行は有利な融資先を先進国の産業の中に見いだすことができなくなり、資金を発展途上国の政府に貸し付けた(これは1982年以降の途上国にお ける債務危機を生み出す)。さらに、かつてのように株式の長期保有からは利益が上がらなくなったので、投資家たちは株式を売却して、もっと儲けのよい投資 先を求めるようになった。しかし、1970年代の先進国の金融市場は各種の規制により縛られていたため、金融バブルが発生する余地は限られていた。

 そこで、利潤率を回復させ、過剰な貨幣資本のはけ口を作り出そうとする支配階級の戦略が展開された。それは第1に、1970年代末から本格化する新自由 主義路線の採用であり、グローバル化によるコスト削減であった。新自由主義のもとでの企業減税と累進税率の緩和、企業への規制緩和と公営企業の民営化、緊 縮財政と社会保障の縮小、企業の多国籍化によるコスト削減、そして労働市場の規制緩和にともなう不安定雇用の普及は、資本の利潤率をある程度まで回復させ た。それは、極限的な搾取による資本の過剰蓄積をもたらした。

 第2に、1980年代に米国を皮切りにして世界に広がった各種金融派生商品の発達と金融の規制緩和は、証券会社と銀行の業務を一変させた。高度経済成長 の終焉にともない、機関投資家は株式を長期保有するのではなく、それを大口で短期売買することで稼ぎをあげた。さらに、証券市場では1980年代に、金融 先物、オプション、スワップといった金融派生商品の取引が広がり、90年代には債権や不動産を証券化して分割し売りさばく取引(資産証券化)が急速に拡大 した。これに合わせて、証券会社は証券取引の仲介から手数料を得るという伝統的な業務の比重を低下させ、自らが取引の当事者となっていった。

 他方で、資金の調達先と儲け先を証券会社に奪われていくことに危機感をいだいた銀行は、1980年代を通じて金利規制と業務分野規制を緩和するよう政府 に要求した。そこで米国では80年代から90年代にかけて、資金調達の面で投資信託と競争しうるような高い金利が銀行の定期預金にも許容され、かつ、投資 銀行業務や資産証券化業務等に銀行が進出できるよう規制が緩められた。こうして、機関投資家から大口の資金の運用を委託された米国の証券会社と銀行は、傘 下にあるヘッジファンドなどを活用して高リスク金融商品の短期的な売買をくり返し、巨額のバブルを生み出した。

金融主導の資本主義の終焉

 現在の危機への対応策として、フランス政府などはグローバルな金融市場への国際的な規制の強化を提唱している。トービン税(注)の創設、キャピタルゲイ ンへの課税強化、ヘッジファンドへの規制、銀行業と証券業との分離といった金融規制の強化が必要なことは言うまでもない。

 しかし、今回の危機は単なる「金融危機」や「金融バブルの崩壊」ではなく、グローバル資本主義の構造的危機である。なぜなら、それは、金融、企業経営、 政府の財政運用、消費生活のあり方といった、グローバル資本主義の構造全体におよぶ全般的恐慌であるからだ。バブルをくり返し生んでしまうほどの過剰な貨 幣資本を不可避的にかかえ込まざるをえない、資本の蓄積構造それ自体が危機に陥っているのだ。

 金融主導型のグローバル資本主義は、経済生活のあらゆる分野を金融市場に依存させることになった。第1に、企業経営は米国で典型的に見られるように、株 式の転売から利益を得るようになった年金基金や投資信託の意向を反映して、従来の経営者主導型から株主主導型へと転換した。株主主導型の経営では、長期的 な成長よりも、自社の株価と配当を短期的に引き上げることが重視される。株価を引き上げるための手早い方法は、競争力に乏しい部門を分割・売却し、逆に得 意部門については同業他社を合併・買収することである。こうして、大量の解雇を発表した企業の株価が上昇するという倒錯した現象が一般化した。

 第2に、中央・地方政府の財政は、公債発行とそれへの格付けにより、金融市場の監視にさらされ、緊縮財政を強いられている。政府が財政赤字を増やすな ら、それが発行する公債はムーディーズ等に代表される格付け会社からはリスクの高い債権とみなされ、格付けを下げられる。そうすると公債は買われなくな り、政府は資金調達に行き詰まる。

 第3に、米国に典型的に見られるように、消費生活もまた金融市場の動向に左右されている。今日、米国の家計の50%が株式を保有し、45%が年金基金に 投資している。その一方で、米国の家計の貯蓄率は1990年代に低下しつづけ、限りなくゼロに近づいている(図2参照)どころか、2004年にはマイナス を記録している。つまり、支出が収入を上回るのである。消費者は、値上がりした株式を担保にして銀行から融資を受けたり、サブプライムローンのかたちで銀 行や証券会社から融資を受けたりして、耐久消費財や住宅を購入していた。それは、株価と借金に依存した大量消費であった。

 こうした仕組みにもとづく経済成長のパターンはきわめて不安定である。そこでは、金融バブルの崩壊が実体経済の不況に直結する回路が形づくられているの だ(以上の点については、『統一の理論』48号の剣持悟論文が詳しい)。そして、この回路が現実に作動することで引き起こされたのが、まさに今回の経済危 機である。

経済全体の民主的改革を

 麻生政権は今回の危機を単なる一過性の「不況」として理解しているため、これに対する自らの対応策を「景気対策」と呼び、一時的な減税と3年後の消費税 増税という場当たり的な施策しか打ち出しえないでいる。

 しかし、危機をグローバル資本主義の「構造的危機」ととらえるなら、それへの対応策は根本的な改革でなければならない。先述した金融規制の強化を国際協 調によって実施しなければならないのは当然だが、対策をそうした金融の次元にのみとどめてはならないのだ。すなわち、派遣労働の禁止と最低賃金の引き上げ をはじめとする労働市場への規制強化、軍事費の削減と社会保障の充実、累進税制の強化、そして投資先の管理をふくむ企業経営の民主化こそが問われている。

 要するに、資本の過剰を解消し、これを生産的な投資と消費に振り向けるための改革が必要なのであり、それはすなわち民主主義的社会主義への道である。

(注)投機目的の短期的な取引を制限するため、国際通貨取引に課税するもの。提唱者の一人ジェームズ・トービン博士の名前からこう呼ばれる。
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