2009年04月17日発行
1080号
【「北朝鮮ミサイル」騒動/「脅威」を利用し軍拡へ誘導/麻生演出「有事体感ゲーム」】
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4月5日、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が発射した「飛翔体」が日本上空を通過した。約
1か月間、日本中を揺るがした「ミサイル騒動」の幕切れはあっけないものであった。とはいえ、今回の事態が世論に与えた影響は軽視できない。政府・防衛省
の演出による「有事体感ゲーム」。その狙いは、軍拡と武力行使の合意づくりにあった。
支持率アップの下心
「北朝鮮の長距離弾道ミサイル」に対する政府の破壊措置命令を受け、迎撃態勢に入る自衛隊。日本海にはイージス艦が展開し、東北地方や都内には迎撃ミサ
イルPAC3の発射機が設置される。テレビのリポーターは興奮した口調で状況を伝える…。
このように、今回のミサイル騒動では怪獣映画の1シーンを見ているかのような光景が現実のものとなった。というより、一連の騒動自体が日本国民に「有
事」を体感させることを目的に演出されたものといえる。
仕掛人は、麻生太郎首相及び防衛省である。麻生は早くから「やるに決まってるじゃないか」と公言し、人工衛星の打ち上げ目的であっても迎撃対象になると
していた。自衛隊法にもとづく破壊措置命令は、閣議決定を経ない場合は非公表が前提なのに、麻生の意向により安全保障会議をわざわざ開いた上で発令した。
国民へのアピール度を優先したためだ。
イージス艦やPAC3部隊の展開が大々的に報道されたのも、そうなるように政府がメディアに情報を公開したからである。たとえば、防衛省がある東京・
市ヶ谷にPAC3が運ばれる際、その道中の取材が許可された。自衛隊車両がいつ埼玉の入間基地を出て、朝霞駐屯地や市ヶ谷に到着するかのスケジュールまで
事前に配られたという。
これらは「危機管理に成功すれば支持率が上がる」(麻生派の自民党議員・3/28朝日)という効果を期待した首相サイドの作戦にほかならない。「北朝鮮
の脅しに屈しない強い姿勢」を訴えることで、麻生のイメージアップを図ろうとしたのである。
一方、防衛省にはミサイル防衛(MD)システムのデモンストレーションという思惑があった。初期配備費だけで約1兆円もしたMDの拡充を今後も図ってい
くためには、国民に必要性を納得させねばならない。それには活躍の場面を“見せる”ことが最も効果的、というわけだ。
もっとも、「ミサイル発射」の誤報を2度もやらかしたことで、MDの性能以前に政府の危機管理能力に問題があることが露呈してしまった。下心丸出しでは
しゃぎすぎたがゆえの失態といえよう。
メディアは戦時モード
さて、今回の騒動では「ミサイル落下のおそれ」という「有事」を演出することによって、地方自治体やマスメディアを巻き込んだ大規模な「演習」が行われ
た。「住民の避難や連絡態勢は、実際に何か起こらないと整わない。今回は学ぶところが多い」(自衛隊幹部・3/28東京)との発言が示すように、戦時体勢
の実動演習であった。
「飛翔体」の予定通過コースでもない自治体まで「危機管理チーム」や「ミサイル警戒本部」を設置、県立学校の教員にまで「着弾」した場合の非常招集を要
請−−このような「戦時ムード」の醸成は、マスメディアの煽動によるところが大きい。
日本のメディアは今回の事態を一貫して「北朝鮮のミサイル発射」として報道し、落下被害のおそれを強調し続けた。日本政府が迎撃態勢をとったことについ
ては、「万一の事態に備えておくことは当然だろう」(3/28朝日社説)との理屈で全メディアが支持を表明。「取り得る最善の方法がMDによる迎撃であ
る」(3/28産経主張)とした。
「飛翔体」発射の翌日以降も、マスメディアは引き続き「北朝鮮の脅威」を煽り続けている。「ミサイルの脅威に備えるには、ミサイル防衛システムの一層の
充実が欠かせない。さまざまな訓練を重ねて迎撃の精度を高め」るべきだ(4/6読売社説)、というのである。
「先制攻撃」の声も
しかし、日本のMDは米国の先制核攻撃戦略の一翼を担っており、決して「防衛」のための兵器ではない。それに「弾道ミサイルにどう対処するか」という議
論が「迎撃が困難なら撃たれる前に撃てるようにしろ」という方向にエスカレートしていくことは目に見えている。
実際、泥酔大臣こと中川昭一前財務相は「発射基地にどう打撃を与えるのか。議論の一つに核に関する議論もあってもいい」述べ(4/5)、自説の核武装論
をここぞとばかりに吹聴している。4月6日付の産経新聞主張も、自衛権の発動による先制破壊攻撃の議論が必要と訴えた。
軍事的緊張の引き金を引く朝鮮の行為が許されないのは当然だが、事態を利用し軍拡や武力行使容認の合意形成にいそしむ麻生政権の態度もまた危険きわまり
ない。今回のミサイル騒動で世界の注目を浴びたのは、外交による平和的解決など眼中になく、戦争国家の道をひた走る日本の姿であった。 (M)
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