2009年05月29日発行 1085号

【裁判員制度とメディア / 「司法に民意を反映」のウソ宣伝 / 「参加」の美名で「動員」を隠す】

 裁判員制度の開始にあたり、マスメディアは制度の広報・推進役を果たしてきた。この間の報 道をみても、「司法への市民参加」の意義を強調するものばかりが並んでいる。こうした優等生的言説にだまされてはならない。裁判員制度の本質は、戦時動員 と同じ発想の「司法への国民総動員」なのである。

朝日新聞の大PR

 裁判員制度の開始(5/21)を前に、マスメディアは様々な特集を組んだ。ここでは朝日新聞の事例をみていこう。

 4月以降、「朝日」はカウントダウン企画と称して、裁判員制度に関する連載や企画記事を掲載してきた。朝刊のシリーズ企画「裁判員元年」を筆頭に、裁判 員候補者に選ばれた市民の意見を紹介するコラム「裁判員候補者は」などである。

 「朝日」の論調には、他のメディア以上に「市民参加の意義」を強調するという特徴がある。様々な問題点や市民の不安も取り上げてはいるが、結局は「司法 の民主化」の名の下に裁判員制度を正当化するというスタンスなのだ。

 具体例をあげる。「裁判員元年」の連載初回記事(5/11)は、「お上任せ」の姿勢からの脱却が裁判員制度導入の趣旨だ、と解説している。いわく、刑事 裁判に市民が参加するこの制度は「『自律的で社会的責任を負った統治主体』になるよう国民に求めた」。つまり、裁判員制度には「お上頼み」からの変化を促 し、民主主義を「成熟させていく」(5/20社説)期待が込められているというのである。

 また、5月1日の「裁判員候補者は」欄は、様々な市民運動に携わってきたという女性の「裁判員制度も同じだ」との意見を取り上げている。彼女は言う。 「無関心だった裁判に直接加われば、見方が変わるはずです。その結果、司法が分かりやすく身近になっていくと期待して、裁判員を務めるつもりです」

 何事も参加が大事という立派な心がけにケチをつけるつもりはない。しかし、この手の優等生的意見が称揚されるときは、そのうさん臭さを疑ってみるべきだ ろう。裁判員制度は本当に、マスメディアが持ち上げるような「民主主義実現」のシステムなのか。

陪審制とは正反対

 「憲法草案に『陪審制』を / 弁護士らの願い、63年後に結実」(5/3朝日)と題する記事がある。内容は、裁判に民意を取り入れるという憲法の理念が裁判員制度で実現するというも の。しかし、裁判員制度は陪審制の一形態ではない。基本精神が違うのだ。

 米国等で採用されている陪審制の根底には、被告人を守るために「国家の代理人による裁判」ではなく「市民による裁判」を選択する権利を認めるという発想 がある。こうした「被告人の権利擁護」や「市民による司法権力の監視」という観点が、日本の裁判員制度にあるか。

 答え、まったくありません。裁判員制度の導入を提言した政府の司法制度改革審議会は、01年6月の意見書で言い切っている。この制度は「個々の被告人の ためというよりは、国民一般にとって重要」なものだから、被告人には拒否権を与えないし、国民は裁判員になることを辞退できない、と。「被告人の利益を守 るため」という市民参加の精神が、裁判員制度ではまったく無視されているのだ。

国家との同化が狙い

 では、裁判員制度は何のために市民を刑事裁判に参加させようとしているのか。裁判員法第1条(目的規定)には、「司法に対する国民の理解と信頼」を向上 させるため、とある。この意味を推進派の学者に説明してもらおう。

 桐蔭横浜大の河合幹雄教授は、これまで国民は司法というドラマを眺める観客だったが、裁判員制度の下ではドラマの中で役を務めなくてはならなくなる、と 解説する(5/11朝日)。そうなれば「自分の注文がいかにむちゃだったかを知り、国や司法がきちんと運営されていることを実感するだろう」

 要するに、国家の統治行為たる裁判に市民を召喚する目的は、彼らに「裁く側」と同じ意識を持たせ、「お上」の正しさを知らしめることにある、というわけ だ。別の言い方をすれば、新自由主義にもとづく戦争国家を進んで支える「国民」の育成が裁判員制度の目的なのである。

 こんな制度が「真の民主主義につながる」わけがない。ウソを並べて推進役を務めてきたマスメディアの罪は重い。

   *  *  *

 もっとも、法曹界やマスメディアの大宣伝にもかかわらず、市民の大半は裁判員になることを望んでいない。最新の世論調査では約8割が「参加したくない」 と答えている(5/3読売)。

 推進派はこの結果を「お上任せ意識から脱却できていない」と評するかもしれないが、そんな言説は放っておけばよい。奴らは軍国主義の世の中になれば「国 防に参加することが国民の義務だ」と言い出すような連中なのだから。

 思想信条に反する「動員」を断れないような制度を認めるわけにはいかない。実際に始まる前に、裁判員制度は廃止すべきである。  (M)
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