2011年08月19・26日発行 1195号
【「原発ゼロ」言い出した共産党 実は「段階的撤退」論】
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メーデー集会で志位提案
日本共産党志位委員長は、今年5月1日のメーデー集会で、同党の原発政策にとって「大きな転換」と評されている演説を行なった。
「5〜10年以内に原発ゼロ」を目指して、「原発からの”段階的”撤退」を提起し、その実現を政府に求めたのである。6月13日の記者会見でも、この提
案がより詳しく繰り返された。
原発の「即時全面停止・廃止」にまでは踏み込んでいないにもかかわらず、提案が党内外で「大きな転換」と受け止められているのには、それなりの理由があ
る。それは、この党の原発・核エネルギー政策を歴史的に振り返ってみれば、はっきりする。
一言でいえば、共産党の原発・核エネルギー政策は、ずっとあいまいなものだった。
たしかに、一方で、現存する原発については、その技術が「未完成で不完全」であり、危険を伴うという理由で反対してきたのは事実だ。とくに原発の「大増
設」と「プルトニウム循環方式」には、以前から強く反対していた。そして、折にふれ「原発からの段階的撤退」にも言及してきた。
しかし、他方で、将来的な「核エネルギーの平和利用」については、つい最近までは一貫して容認してきた。つまり、技術が完成し「安全な原発」ができる日
には積極的に活用する立場であった。
党の基本方向がそうである以上、原水禁運動などでは「核兵器廃絶」は掲げても、「反原発」には一貫して消極的だった。福島事故後の4月統一地方選段階で
は、「安全最優先の原子力行政への転換を」との政策であり、「原発ゼロ」を求めて行動を呼びかけることもなかった。
「安全な原子力」を利用
日本共産党22回大会第7回中央委員会総会(03年)で、不破委員長(当時)は党員の質問にこう答えている。
党は「将来展望に関しては、核エネルギーの平和利用を一切拒否するという立場をとったことは、一度もないのです」。「現在の原子力開発は、軍事利用優先
で」「不完全」だから問題なのであり、「人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんな新しい展開が起こりうるか、これをいまから予想する
わけにはいかないことです」。
当時の党綱領は「党は、原子力の軍事的利用に反対し、自主・民主・公開の三原則の厳守、安全優先の立場での原子力開発政策の根本的転換と民主的規制を要
求する」とする。先の不破発言はこの綱領の原則に沿っている。
チェルノブイリの事故(86年)以降、20年近く経った後もなお、共産党は将来の「原子力の平和利用」つまり原発の運転に楽観的な見通しをもっていたと
いわざるを得ない。
その党綱領は23回大会(04年)で全面改訂された。だが、新しい綱領では、旧綱領より踏み込んで「反原発」政策が打ち出されたのかというと、そうは言
えない。
「原子力開発」「核エネルギーの平和利用」などの言葉が全面削除されたものの、核エネルギー政策は、エネルギー政策一般のなかに解消されただけだ。この
ことによって、かえって立場があいまいになったと言えるほどである。
綱領的立場のあいまいさは、その後折りにふれて発表されてきた、一連の「しんぶん赤旗」の「主張」などにも反映している。
たとえば、政府の「原子力政策大綱案」の発表を受けた05年10月1日の「主張」。ここには「既存原発の計画的縮小」という言葉が認められる反面で、
「原子力利用の安全確保こそ最重要課題です」、「安全優先の立場で原子力政策を根本的に見直すことが必要です」と、あたかも「安全な」原子力利用があるか
のような印象をなお残している。
中越沖地震による柏崎刈羽原発事故発生を受けた07年7月27日付け「主張」の結論も、「必要な耐震補強」の実施、「安全性が確保できない原発は運転中
止」を主張するだけにとどまっている。
即時全面廃止へ踏み込め
福島原発事故発生直後の「主張」にさえ、原発の即時停止・廃止が訴えられることはなかった。ようやくメーデー集会と6月の記者会見で、一歩いや半歩踏み
込んだ志位発言がなされたのである。
しかし、それはなお原発からの段階的撤退論でしかない。反原発運動にとって常識である全原発の即時運転停止・廃止を掲げることをかたくなに拒む姿は、
「大きな転換」と呼べるものではない。
いずれにせよ、共産党が、「脱原発依存」(菅首相)やら「縮原発」(経済同友会)といったたぐいの妥協的立場から、徹底した「反原発」の立場に一歩でも
二歩でも歩を進めることは、おおいに好ましく歓迎すべきことだ。
だがそれにとどまらず、日本共産党が朝日新聞と同列の「段階的撤退」論から一刻も早く「即時全面廃止」への「大きな転換」に踏み切ることを願わずにはい
られない。
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