2011年12月16日発行 1211号

【ファビアン・ゲオルギさん(フランクフルト大学社会研究所助教) ドイツ反原発運動―なぜ成功したのか 地域に根を張 り、民主主義を貫き 「核国家」への根源的批判と結びつく】

 ドイツの反原発運動は5つの時期に区分される。

 第1期(1971〜77年)では運動が登場し、戦闘性を増大させた。南西部のヴィール村の原発建設に対して今のウォール街占拠と同様の占拠行動が取り組 まれた。

 第2期(78〜86年)、運動はピークに達し、多様な人々が加わった。原子力への批判は、近代の科学技術や国家、資本主義自体にも向けられるようになっ た。例えば「核国家」という概念。危険な原子力技術は抑圧的な国家の存在によって初めて確保される、というものだ。

 同時に、反原発運動出身の多くの人が緑の党の結成で議会制度に取り込まれ、国家にすり寄るNGOに加入するなど、運動の弱体化も生じた。

 第3期(87〜94年)は停滞と危機の時期。ドイツ再統一や人種差別、高い失業率など多くの他の争点が浮上した。

 第4期(95年〜2001年)、運動はルネッサンスを迎える。核廃棄物貯蔵施設のある北部のゴアレーベンへの再処理核燃料容器の搬入を阻止する大規模な 封鎖行動が毎年闘われ、若い世代を中心に数万人が結集。社会民主党と緑の党の連立政権とエネルギー大企業との間で、30年以内に原発から離脱する「核をめ ぐる妥協」が結ばれる。だが運動の側の批判に対し、緑の党は「感謝せよ、抗議活動をやめよ」と要求した。

 第5期(02〜11年)、しかし運動はやまなかった。右派政権は原発の稼働を延長する政策転換を行なったが、フクシマのショックが襲い、今年6月、連邦 議会は2022年末までにドイツを原発から離脱させることで合意した。

 ドイツはなぜ脱原発を決定したのか。

 第1の最も重要な理由は、反原発運動の強い圧力と運動への広範な世論の支持だ。

 第2に、08年以来の世界経済危機が、グリーン・エネルギー部門に軸足を置く資本蓄積戦略への転換を促した。

 第3に、資本主義秩序を支持する諸勢力は、信頼を失った新自由主義に代わる「グリーン・ニューディール・プロジェクト」により正統性の回復を図る必要に 迫られた。


運動自体が強かった

 ドイツの運動の成功には外的要因と内的要因がある。

 外的要因の第1は、州政府が強力な権限を持つ連邦制と、法廷で原発に異議を申し立てることを容易にする「行政裁判」というドイツの制度。

 第2は、緑の党の相反する側面を持つ役割。緑の党が存在しなければ、社民党は反原発の立場には移行しなかっただろう。他方、緑の党は、原発への批判を放 射線や核廃棄物の問題に限定し、資本主義社会の産物とする根源的な批判を脇へ追いやった。

 第3は、歴史的な条件の変化。

 外的要因より重要なのは運動それ自体の強さだ。私は4つの点に光をあてたい。

 第1は、原発に近い地域のコミュニティに深く根を張ってきたこと。

 第2は、異なる政治的考えを持つ多様な人々、多様な社会集団をこの運動が束ねていること。激しい論争の後には異なる見解を受け入れることで、運動は強く なった。

 第3は、対抗的文化を創り出したこと。これは自律と団結、自己決定と連帯、草の根民主主義と直接行動によって特徴づけられ、新たな生活のあり方にかかわ るものだ。

 最後に、原発への批判が資本主義に対する広範な批判の一部となっていたこと。原発批判は、生態系の破壊への、成長に基礎を置く資本主義文明への、権威主 義的な警察国家である「核国家」への根源的な批判と結びついていた。
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