2012年07月13日発行 1239号

【本当のフクシマ/原発震災現場から/第13回 想定外ではなかった事故/トラブルを隠し続けた電力会社/これで再稼働 なんてありえない】

隠された「予兆」


  「東京電力と共に脱原発をめざす会」の名前で作成された、A4でどちらも1枚ずつ2種類の資料が筆者のところに回ってきたのは3・11から3か月ほど経っ た2011年6月頃のことだった。「あわやメルトダウンの重大事故/福島第1・2号外部電源全喪失」と題されたその文書には衝撃的な内容が記載されてい た。2010年6月、福島第1原発2号機で交流外部電源が全喪失する事故が起き、非常用ディーゼル発電機の起動によりかろうじてメルトダウンを免れたとい う。

 事の経緯はこうだ。2010年6月17日、2号機が緊急停止。交流電源がすべて失われたため、炉内に冷却水が戻らない「全給水喪失事故」となり、炉内の 水位が低下、緊急に冷水(隔離時冷却系)がタービン駆動により注入された。さらに外部電源全喪失事故に備えて設置されている非常用ディーゼル発電機が起動 してようやく手動により給水を回復した。

 もしここで非常用ディーゼル発電機が起動しなければ、ECCS(緊急炉心冷却装置)による注水ができずさらに水位が低下する。やがて核燃料が頭を出し、 自らの発熱で燃料はメルトダウンし始める。

 東電は、お決まりのようにこの事故を隠ぺいし、当初の発表では全電源喪失であることを伏せた。地元メディアも事故を伝えたが、事の重大性を理解していな い的外れの報道だった。5日後の6月22日、会が説明を求めてようやく真相が明らかになったのである。


40年間で3回目

 非常用ディーゼル発電機の起動、ECCSの作動は、原発の運転開始から廃炉に至る過程の中で一度でも発生すれば異常事態といわれる。筆者も例外中の例外 だと思っていた。ところが、この資料はさらに衝撃的な事実を明らかにしていた。2号機で、この事故が起きる前に2度もECCSが作動する事故が起きていた のだ。

 1回目は1981年5月。給水喪失による水位低下で原子炉が自動停止したためタービンを手動停止。ところがタービン停止に伴う電源切り替えの際に高圧復 水ポンプが停止し、全給水喪失。たちまち水位が低下しECCSが作動した。会はこの事故の原因究明と再発防止を強く求めたが、東電は「当時の警報記録や チャートを残していない」と逃げたまま何ら手を打たず、対策は保留となってしまった。

 1992年、2回目のECCS作動事故が起きる。2台ある給水ポンプがともにストップし、高圧注水系のECCSが作動した。このときの電源喪失は2分間 だけですぐに復旧している。

 81年の事故は隠ぺいされ、92年の事故の際に東電が公表して初めて発覚したものだ。92年の事故に関し東電が国に提出した報告書には「自動停止事故」 としか記載せず、「高圧注水系作動」と表記してECCSとはわからないように細工されていた。

 しかも東電は、市民団体の追及に対して「ECCSは配管破断などの際に作動するもの。今回の作動はECCS本来の作動の仕方ではなかった」からこのよう な表現にしたと居直った。

 日本で最初のECCS作動は91年の美浜原発の事故が最初といわれていたが、それより10年も前に福島第1原発2号機で起きていたことになる。

 そして、2010年、またもECCS起動…。東電の居直り方も前回そっくりで「原子炉に関係するものではなく、法律に基づく報告対象トラブルではない」 として幕引きを図った。

 この東電の姿勢を見て「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の佐藤和良いわき市議は「何度トラブルが起こっても東電は学習しない。次はもう事 故しかない」と思ったという。その懸念は2011年、最悪の形で現実となった。

無責任の集合体

 労働安全の世界に「ハインリッヒの法則」という有名な法則がある。1つの大事故の陰に29の小さな事故があり、さらにその陰には300の「ヒヤリ・ハッ ト」がある、というものだ。日常のヒヤリ・ハットに対する感性を研ぎ澄まし、直ちに対策を取ることが事故を防ぐ。東電が過去3回のトラブルのうち1回でも 真摯な対応をしていれば、事故はここまで深刻にならなかったかもしれない。しかし、実際には東電は3回とも隠ぺいし、ごまかし、言い訳に終始し、まともな 対策を取らなかった。恐ろしいことに、こんな連中が原発運転の決定権を握っている。

 私は、原発事故も他の公害や企業犯罪と同様、システムそのものよりそれに携わる関係者・技術者・学者の問題のほうが大きいと思っている。彼らをそのまま にした原発再稼働など決してあり得ない。



      (水樹 平和)
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