2012年12月07日発行 1259号

【国会へ届け 福島避難母子の願い “医・食・住”を確立する被災者支援を】

岡田めぐみさん(福島市から武蔵野市へ)


 4歳、2歳、妊娠3か月の第3子を抱えて避難した。

 困ったのは産婦人科。大学病院に行ったら、「突然来ないで」と怒られた。助産師会に出会えなければ、この子を生めなかった。それぐらい妊婦への助けは全 くなかった。

 出産費用も福島より30万円ぐらい多くかかる。保育園もまず入れない。

 この子の被曝検査はいつごろか福島県に聞くと、避難してから生まれたので2年後と言われた。どうしていいのか分からない。


二瓶和子さん(福島市から練馬区へ)

 長女5歳、次女3歳。自力でアパートを借り、3人の生活が始まった。借り上げ住宅に入るまでの家賃計40万5千円、入居手数料17万円、夫が来る時のガ ソリン代月1万円、高速無料化がなくなった後の新幹線代12か月24万円。どうしてこういう数字を言わなくてはいけないのか。

 食べ物は南の産地のものを選び、水はミネラルウォーター。負担は2倍です。

 子どもと父親は絶対的な信頼関係で結ばれ、とくに上の子は別れ際に泣かない。大好きなアニメの言葉で、「ハートでつながっているから大丈夫」と言う。

 娘のため、健康のため、私は福島の地ではなく離れた地で闘うことを決めた。


増子理香さん(三春町から西東京市へ)

 私が失ったものは大きく3つ。故郷、共に子育てしながら育む温かい時間、そして愛着をもって育てた土。有機栽培野菜の宅配先から断りの電話が入る。人生 を否定されたようなものだった。

 義母が食卓に出す野菜を娘には食べさせない。義母はお米を井戸水で炊き、私はもう一つのお釜でミネラルウォーターで炊く。夫は「どっちの米を食べればい いんだ」。同居生活の子育てに自信がなくなり、避難した。

 避難はさらなる苦しみへの入り口だった。復興予算も、娘のとる小学生新聞に、適正に使われていないとある。国は恥ずかしくないのか。

 私たちは保有物を失っただけでなく、これからの人生や夢、将来、子どもに残すこれからの社会を大きく失った。この喪失感を取り戻す形で支援法を使ってほ しい。


伊藤千恵さん(郡山市から多摩市へ)

 東京の生活を整えるため、必死の思いで4月は動いた。泣くことができなかった。よく、自力で避難した人は選択する時間があったというが、私にはなかっ た。

 娘とデモに参加した。最初はいやだと言っていた娘も、歩くうちに声を上げた。10歳の子がデモをする。こういう国の状態をどれだけの大人が受けとめてい るだろうか。

 食品には産地とベクレル表示を。高速道路・高速バス・新幹線の無料化を。住宅の無償提供を。必要な検査を、どこにいても地域の病院で受けられるよう、無 料で定期的に実施してください。

 チェルノブイリ事故では国から保障されたことが、日本ではなぜこんなにも遅れるのか。住み続けるか離れるかは自由に選択できるが、それは避難の権利が認 められ、補償があってこその自由だ。私たちは自由ではなかった。

 憲法25条をこの日本で生かせるよう、力を合わせていきたい。


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