2014年05月02・09日発行 1328号

【MDS(民主的社会主義運動)佐藤和義委員長/集団的自衛権行使/すべてはグローバル資本のため/展望はトータルな変革に/「1%」の支配狙う排外主義と闘う】

 安倍がこだわる集団的自衛権行使は、グローバル資本の儲けを保証するためだ。排外主義を煽り民衆からの収奪と支配を維持しようとしている。反原発、非正規雇用撤廃の運動を安倍打倒に結び、国際連帯を強めれば阻止することは可能だ。安倍の狙いと闘いの展望を佐藤和義MDS委員長に聞いた。(まとめは編集部)


「限定的」はごまかし

 安倍政権は集団的自衛権に関して「限定的に行使する」とのごまかしで合意を取ろうとしている。

 朝日新聞、毎日新聞、共同通信などの世論調査でも集団的自衛権行使容認に反対という声が急速に強くなっている。そこで安倍は「他国の領土では行使しない」「公海上でシーレーンを防衛する」「米軍艦船などへの攻撃に対処する」など限定するとごまかしている。

 だが、本音はあくまで、現在の反対世論を突破して自衛隊を持っている≠セけでなく、武力行使できる≠謔、にすること。それも相手の攻撃も待たずにだ。「限定的」と言って行使できるようにして、あとは、なし崩し的に制約をなくす。中国・朝鮮・韓国との緊張関係を利用しながら、最終的には自民党改憲草案による新憲法制定に進められればベストだと考えているのだろう。

 安保法制懇なんてでたらめだ。国連の集団安全保障も憲法もあろうがなかろうが「自衛隊は何だってできるんだ」と考えている。「限定的行使」は、公明党が賛成しやすくするための言葉にすぎない。

 カネのための「自衛権」

 なぜ安倍は集団的自衛権行使にこれほどしつこくこだわるのか。「1%」の支配を維持し、海外に進出するグローバル資本と軍需産業の利益を守るためだ。当然、考え方や思想、イデオロギーの支配・統合のためでもある。

 安倍政権がこれまでやってきたこと、これからやろうとしていることをみれば、支配層が反撃されるのは目に見えている。

 消費税は8%にあげ、さらに10%にする。国民を総被曝させた上に、原発は再稼働し輸出する。武器輸出三原則を撤回し武器輸出する。労働者派遣法など労働法制の改悪で正規労働者が1割しかいない社会をめざしている。1995年の日経連(財界中枢、現・経団連)「新時代の日本的経営」の完全実行版といえる。非正規労働者が9割とは、増税でふんだくられ、ボーナスはない、給料は上がらないという人たちを9割にするということだ。

 やっていることをトータルにみると日本をメチャメチャにしようとしている。グローバル資本主義が膨れ上がって、さらに金融緩和政策で資本が過剰となっている。だから賃金をいっそう減らし、原発・武器輸出で市場を用意し、海外進出企業を守らなければ、彼らに大きな利潤を保証できないと考えている。

支配層との同化が狙い

 だが、彼らもこのような政策を実行してただで済むとは思っていない。これまで、日本の支配階級は、民衆の不満に対して「考えさせない」「黙らせる」という対処をしてきた。しかし、それだけでは不足で、積極的支持がほしいと考えはじめている。多くの支持は不可能でも、2割程度の支持があれば何割かの沈黙している層と合わせて支配体制を維持できると計算している。そのために権力側は対外緊張を利用し若者や市民に対して排外主義の罠を仕掛け、国民を統合しようとしている。

 その例が、すでに週刊MDSにも批評が載っている『永遠の0』だ。映画が700万人を動員し本が350万部売れているのはかつてないことで、賛美や同感との声が上がっている。

 ストーリーは単純で、青年が特攻で死んだ自らの祖父の足跡をたどる。愛する家族のために不本意ながらも命を賭して戦った兵士たちが描かれている。「彼らがいたから今日の日本があるんだ」ということをその青年も実感するというものだ。

 同じことを、靖国神社参拝の談話で安倍首相も言っている。「今の日本の平和と繁栄は今を生きる人たちで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、守って育ててくれた父や母を思いながら戦場に倒れたたくさんの方々の尊い犠牲の上に私たちの平和と繁栄があります」と。

 『永遠の0』がうまいのは、決して特攻隊万々歳というふうには見えないようにしている。特攻隊員は軍の指導部とか政府に対する不満をぶつぶつ言いながら死んでいく。しかし、そういう人たちがいたからこそ今があるんだという。





 民衆の不安につけ入る

 これは何を意味するか。

 「1%」の支配の下で蹴飛ばされ踏みにじられ、頼るものは一切なく孤立無援でどこまで落ちていくかと不安の中で生きている人たちが、自分たちの寄る辺として「この日本を作ってくれた人たちがいる、守ってくれた人たちがいる」ということに頼りたい。あるいは、それとつながることで自分なりの存在感、アイデンティティを保ちたいということだろう。権力は「いろいろな不満はあるかもしれないが、今日の日本はそういう尊い犠牲の上に成り立っているんだから頑張れよ」とその心情を煽る。「日本の尊い犠牲者たちが祀られている靖国神社に参拝することに韓国・朝鮮・中国が口を出すのは日本への冒涜ではないか」「尖閣や竹島まで日本の領土にちょっかいを出してくるのはけしからん」と煽る。

 民衆の視線を外にそらせて支配層を批判させないことで権力と同化させ、積極的支持を作る。これはやらずぶったくりのための「1%」の重要な武器だ。

 だから支配層にとっては、従軍「慰安婦」や南京大虐殺はあってはならないことだ。なぜ、NHKの籾井会長や『永遠の0』作者の百田が「南京大虐殺はなかった」「従軍『慰安婦』はどこでもあったことだ」とウソをつくのか。愛する家族のために身を賭して戦った人たちは清く正しくなくてはならない。大虐殺をしたり従軍「慰安婦」に関わったりしていたのでは同化できない。つまり侵略戦争だったことを否定しなければならない。排外主義をあおり、グローバル資本の利益を守り、軍事資本の利益を守り、そして「99%」を支配するためには、自分たちの過去を覆い隠し、侵略戦争ではなかったことにする必要がある。

 「在特会」というのはその尖兵だ。ジャーナリストの安田浩一は、恵まれない層が参加者の主体だと、社会学者の樋口直人はもう少し中産階級的な部分が参加していると言っている。データとしてどちらが正しいかは分からないが、貧困層であろうが中産階層であろうが「1%」に蹴飛ばされていることに変わりはない。

 「中産階層」と呼ばれる人たちも変化が激しい。公務員や教師の給料の激減はひどいものだ。大阪市長の橋下のような連中から、いつでもクビにできるぞと脅されている。民間企業ではもっとひどいし、大企業の課長級あたりだって全く安泰ではない。退職したとき、親の介護の負担を抱えながら子どもが就職できないとなればダブルパンチだ。少しくらい年金があったって生活は守れない。身ぐるみ剥がれるという恐怖がある。

 どちらにしろ、自らの位置をなくし、どこまで転落するか分からないという恐怖の中で生きていて、自分のアイデンティティを何とか維持したいという衝動で在特会に参加している。同様の状況で、700万人が『永遠の0』を観たのではないのか。





 儲けのためなら何でもあり

 では、日本のグローバル資本総体が戦争路線、挑発路線、排外主義路線を支持しているのだろうかと疑問を持つ人がいるかもしれない。

 だが、グローバル資本も、「1%」がさらに膨れ上がっていくようなシステムが簡単に維持できるとは思っていない。排外主義を煽って同化させることでしかできないと思っている。もちろん、うまくいかなければ撤回するかもしれないが、現時点では安倍政権を支持している。

 戦前の歴史をたどると、1931年満州事変(日中15年戦争の開始)が起きたときに当時の西園寺公望(元老)ら重臣たちは当初は戦争に反対していたが、彼らの目から見て「うまくいっている」と見えるとその成果をかすめとろうとした。天皇も同じようなものだ。

 だから、日本のグローバル資本も儲かればいいと考えて、現状では安倍に支持を与えている。「非正規9割」の社会をつくるということはそういうことだろう。

安倍内閣打倒の突破口

 では、どう対抗していくか。

 署名運動などをしていると最初、「集団的自衛権って何?」という反応が多かったのではないか。秘密保護法反対運動を始めたときと同じだろう。「秘密保護法。何それ?」って感じだった。それがあっという間に「危ない」「おかしい」と運動が盛り上がっていった。集団的自衛権もそうなる。宣伝が広がって、知らなかった人たちが「実際に日本が戦争をするんだ」ということを考えたとき「それは違うぞ」と思ってくる。そういうところに展望はある。

 では、どう闘っていくのか。2つほど大切なことがあると思う。

 ひとつは、安倍内閣がグローバル資本の厚かましい路線をトータルに出してきた以上、それとトータルに闘って安倍内閣打倒に持っていかねばならない。

 運動内部に「原発再稼働反対だけ」あるいは「秘密保護法反対だけ」などというワンイシューにこだわる人たちが少しいる。

 しかし、それでは勝てない。

 安倍はなぜ秘密保護法を無理やり通したのか。集団的自衛権を実行するためだ。そして、支配体制を維持するためだ。原発再稼働は誰のためか。グローバル資本のためだ。

 グローバル資本のためのトータルな政策に対抗し、社会を根底的に変革する方向での、つまり安倍内閣打倒の闘いの突破口としての、集団的自衛権行使反対が重要だと思う。

 もう一つは国際連帯だ。排外主義と闘うというのは、国際連帯の問題だ。

 米国はイラク戦争を引き起こし、人を殺した。米国のIVAW(反戦イラク帰還兵の会)の闘いが明らかにしているように、末端の兵士は人を殺すことによって心を病む。精神が破壊されてしまう。そして、社会の中に人を殺した者を大量に抱えることになる。兵士が他国に行って人を殺すことの恐ろしさは、日本が集団的自衛権を行使したらどうなるかという例だ。

 イラク側は、いうまでもなく戦争の結果として百万人も死んでしまった。

 攻撃した米兵とイラク民衆が握手をする場面があったが、IVAWの運動で戦争の被害者としての兵士とイラク民衆が連帯することができた。まさに国際連帯だ。

 韓国も軍備を強化している国家だが、労働運動だけでなく、平和運動も含めて民衆同士が連帯し、両方から政府に軍縮を押しつけていく。それぞれの支配層が排外主義を煽ろうとも、同じ人間、平和を作っていく共通の同志として手をつなぐ。そういう連帯をきちんと作っていくことだ。





 民衆こそ命守る

 本質的に憲法第9条というのは多数派であることに確信を持たねばならない。

 原発政策ではすでに全国民を被曝者にしてしまった。その事実は隠しおおせない。集団的自衛権にしても、ただ一つの内閣の憲法解釈の変更で事実上改憲するなど法治国家としてはありえないでたらめであることは誰の目にもはっきりしている。

 放射能健診署名など具体的な行動を対置し、一つの問題にとどまることなく運動を強めれば、支配階級の分岐はもっと拡大し、勝てる。

 運動のスローガンでワンイシューにこだわる人たちの納得が得られないことがあるかもしれない。それは、討議し、説得し、納得をつくっていく。一つの課題しか掲げないというのは、運動の変化から目をそらすことだ。原発反対運動から秘密保護法反対運動へと結ばれていったように、運動が変化していくことははっきりしている。

 「1%」の支配はいつ倒れるかも分からない不安定なものだ。社会のシステムとして成り立たないことをごり押ししているに過ぎない。

 『永遠の0』の百田やNHKの籾井を使ったイデオロギー支配にしても、反論したらいい。支配階級の延命のために、体制維持への交渉をするために、特攻隊や沖縄戦で時間稼ぎをする。そんなばかげたことで死ぬのではなく、彼らは生きていたほうがはるかによかったのだと。

 原発再稼働を阻止し、集団的自衛権行使に反対し、派遣法改悪を許さない。民衆の側、われわれこそが人の命を守る者だ。
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