2014年07月04日発行 1336号

【非国民がやってきた!(186) ユートピアを探して(14)】

 1988年に出版された、井上ひさし・大江健三郎・筒井康隆『ユートピア探し 物語探し』(岩波書店)をもとに、現代文学の課題の一端を垣間見てきました。

 それから四半世紀を経た現在、現代文学はどのような位置にあるでしょうか。ただちに言えることは、一方で文学の多様化であり、サブカルチャーの席巻です。「純文学」の大江が井上や筒井を迎えて文学の可能性の幅をできうる限り遠くへ、彼方へと押し拓こうとしたはずですが、現実は大江のもくろみをはるかに超えていきました。

 サブカルチャー文学の先頭を切ったのが村上春樹と吉本ばななであることは言うまでもありません。その後から、ゲーム小説、ネット文学、ケータイ文学を含めて、ありとあらゆる「実験小説」が登場しました。文学は現実生活から切り離され、政治や哲学との紐帯を解き放ち、思想という古めかしい世界を跨ぎ越していきました。文学はすべてになり、同時に何物でもなくなりました。文学がユートピアを求める必要もなくなり、ユートピアは文学を喪失していきました。「純文学」が雲散霧消したかに見える現在、大江はむしろ「純文学」を再興し、標榜しなければならなくなりました。

 『ユートピア探し 物語探し』から四半世紀の時間の隔たりを回顧すると、「来たるべき新しい文学」を常に追い求めてきた井上、大江、筒井の問題意識は、もしかすると空回りの宿命にあるのかもしれません。

 筒井は『朝のガスパール』(1992年)を書いたのち、1993年に、断筆宣言をします。筒井の作品『無人警察』におけるてんかんの記述が差別的であると抗議を受け、日本てんかん協会との交渉が不調に終わった後に、筒井は断筆し、小説を書かなくなりました。息子がてんかんの症状を持つ大江との間も、疎遠となっていきます。差別表現や、それに抗議を受けた時にいかに対応するべきか難しい問題ですし、筒井には筒井の理屈があり、『断筆宣言への軌跡』(1993年)がありますが、私は筒井を支持できず、この後、筒井作品を読まなくなりました。1997年に執筆を再開した筒井は『わたしのグランパ』(1998年)から『聖痕』(2013年)に至る新しい筒井ワールドを提示していますが、私は読んでいません。

 同じ時期、大江も転換期を迎えます。言うまでもなく1994年のノーベル文学賞受賞です。川端康成以来のノーベル賞であり、大江は現代日本文学の頂点から、世界文学への道を歩みます。私は大江文学の愛読者でしたから、主要な作品はほとんど読んでいました。長篇はもとより、短編集もエッセイ集も随分と読みました。しかし、それまでは新作が出るや急いで購入して読んでいたのが、『燃えあがる緑の木』3部作の第1作『「救い主」が殴られるまで』(1993年)を最後に、大江作品から遠ざかることになりました。『宙返り』(1999年)も『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)も『おかしな二人組』(2006年)も読んでいません。今年になって、現代法研究者としての自分なりの研究を総括する時期が迫ってきたという思いから、同時代を考えるために大江作品を読み直すことにしました。そこで最近作の『晩年様式集』(2013年)や『水死』(2009年)を読むとともに、大江のデヴュー作から最新作までの主要作品をすべて読み返すことにしました。私の文学遍歴の中核であり、私が生きた時代を振り返り、現代を問い直すために必須だからです。

 井上ひさしはどうでしょうか。鼎談の後、井上小説は『四千万歩の男』(1990年)、『東京セブンローズ』(1999年)、『一週間』(2010年)と続きます。鼎談の時期に執筆していた『一分ノ一』は未完のままでしたが、没後2011年に単行本化されました。他方、戯曲では、歴史と現在に大きな切り口で迫りながらも、昭和庶民伝をはじめとして一人ひとりの庶民や文学者に即した物語を追求します。ヒロシマ3部作の『父と暮らせば』(1994年)、『紙屋町さくらホテル』(1997年)、『少年口伝隊一九四五』(2008年)。東京裁判3部作の『夢の裂け目』(2001年)、『夢の泪』(2003年)、『夢の痂』(2006年)。そして「評伝」シリーズでは、太宰治を描いた『人間合格』(1989年)、林芙美子を描いた『太鼓たたいて笛ふいて』(2002年)、小林多喜二を描いた遺作『組曲虐殺』(2009年)。また、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘を題材に、闘わないことを前面に打ち出した問題作『ムサシ』(2009年)。私は井上ワールドに惹き込まれ、笑い、泣き、そして笑ってきました。東京裁判3部作以後はかなりの頻度で劇場に足を運び、こまつ座のファンとなっています。

 井上ひさし亡き後、喪われつつある希望と来るべき新しい文学の狭間でユートピアを探す旅は、羅針盤ぬきにゆっくりとジグザグに試行錯誤しながら歩を進めるしかないのかもしれません。そのことを四半世紀前の鼎談から教えられたように思います。
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS