2016年04月22日発行 1425号

【使われなかった炉心冷却装置 メルトダウン引き起こした東電の利益優先】

 東京電力は2月24日、福島原発事故当時の社内マニュアルに炉心損傷割合が5%を超えれば炉心溶融(メルトダウン)とする判定基準が明記されていたが、その存在に5年間気が付かなかったと発表した。だが、そんな大事な基準を社員全員が忘れるはずがない。メルトダウンを認めたくないために、故意に隠していたのは明らかだ。東電と原子力安全・保安院(当時)が2か月間も「炉心溶融ではない」と言い張ったせいで、多くの住民が避難せず被ばくした。

真相を隠す東電

 東電はこれ以外にも、多くの真相を隠している。ジャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道の粘り強い取材で、また一つ真相が明らかになった(烏賀陽弘道『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』明石書店)。

 2011年3月11日、太平洋沖地震によって運転中だった3つの原子炉(1〜3号機)が自動停止し、外部電源が失われた。その時、各炉心を冷却するのに使おうとした冷却装置は、1号機では非常用復水器(IC)、2号機と3号機では原子炉隔離時冷却系(RCIC)とされる。

 だが各原子炉にはもっと強力な緊急炉心冷却装置(ECCS)が設置されていたことを多くの人は知らない。その一つである高圧注水装置(HPCI)には1時間あたり1134トンの水を注入する能力がある(以下、ECCSは高圧注水装置をさす)。これに対してRCICはその10分の1の能力しかない。ICに至っては冷却機能はあるものの、水位を維持する(注水)機能がない。あくまでECCSが主力で、RCICとICは補助である。

 ECCSは直流電源があれば起動し、あとは電源がなくても原子炉の蒸気で動き続ける。地震発生から津波到達までに約50分あった。元四国電力の原発技術者だった松野元さんは「もし津波が来る前にECCSを起動しておいて、能力の高いECCSから使っていたら、メルトダウンまでには至っていなかったと思います」と証言している。

 ところが、福島事故の際にはECCSを起動した形跡がない。なぜ主力の冷却装置を使わなかったのか。この点は、政府事故調も国会事故調も追及していない。その疑問を追跡したのが烏賀陽だった。

緊急時マニュアルを変更

 福島第一原発2号機は1981年と1992年に、原子炉の水位低下で原子炉が自動停止し、ECCSが作動したことがある。この時点では、東電は緊急時にECCSを使っていた。米国NRC(原子力規制委員会)の安全基準「ブラウンズ・フェリー基準」も、(1)全電源喪失は4〜6時間を想定する(2)原子炉が緊急停止したら、ECCSとRCICは同時に起動する(3)水位が平常に戻ったらECCSを止めてよい、としている。

 今回の原発事故までの間で緊急時のマニュアルが変更されていたことは間違いない。解明のヒントとなるのが、政府事故調の最終報告書の「原子力安全委員会の作業部会が作成した報告書に『30分以上の全電源喪失は考慮する必要はない』との基準が盛り込まれた」との記述だ。93年に策定されたこの基準の意味は「30分たてば電源は回復する」という想定で事故対策を考えればいいということだ。

 もともと電力会社には、原子炉の寿命を延ばすためにできるだけECCSを使いたくない事情がある。金属を高温状態から急速に冷やすと脆(もろ)くなる。ひび割れや破断の原因となる「脆(ぜい)性破壊」である。

 国のお墨付きを得た東電は、それ以降、緊急時に最初からECCSを起動させるのをやめたのではないのか、というのが烏賀陽の推論だ。

 実は2010年6月に福島第一原発2号機で起きた事故では33分間の外部電源喪失が起こった。この時に「30分ルール」という甘い想定を見直し、元の対応に戻していたら、高圧注水によって炉心は冷却されメルトダウンは避けられた可能性が高い。メルトダウンは東電の「人命よりも利益優先」の姿勢によって引き起こされたといえる。

東電・国は一体

 この間、多くの努力で原発事故の真相が少しずつ解明され、3月には東電の元経営陣の刑事責任を問う強制起訴も行われた。今回明らかになった緊急時の対応変更には当時の原子力安全委員会が深く関わっている。東電だけでなく、それと一体である国の責任についても徹底的に追及していく必要がある。

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