2016年04月22日発行 1425号

【未来への責任(198)戦後71年目の遺骨収集推進法(上)】

 4月1日、「戦没者遺骨収集推進法」が施行された。今年2月24日に参院本会議で可決、3月24日衆院本会議での再議決によって成立。ようやく戦後71年目の施行となった。

 推進法第一条の目的では「戦没者の遺族をはじめ今次の大戦を体験した国民の高齢化が進展している現状において、いまだ多くの戦没者の遺骨の収集が行われていないことに鑑み、戦没者の遺骨収集の推進に関し国の責務を明らかにするとともに、実施に関し基本となる事項等を定めることにより、戦没者の遺骨収集の推進に関する施策を総合的かつ確実に講ずること」と規定されている。

 基本計画では、10年間の「集中実施期間」に遺骨収集施策の推進を図ること、収容された遺骸の鑑定(供養し焼骨されることによりはじめて遺骨となる。戦場に放置された未収容の遺体という意味で以下遺骨に代えて「遺骸」という言葉を用いる)に関する体制整備や情報収集、遺骸の送還作業などを担うため新たな法人を指定することを定めた。

 戦後70年以上経過しながら今までなぜこのような法律がなかったのか。その背景に日本の歪んだ戦後処理、そして戦前から戦後へ脈々と流れる「ヤスクニ」の思想が深く関っている。

 太平洋戦争中に戦意高揚のために作られた「靖国の宮にみ霊は鎮まるもをりをりかへれ母の夢路に」という歌がある。この歌は『靖国神社』(岩波新書)の著者、歴史学者大江志乃夫氏の陸軍軍人であった父が戦死した部下の死を悼んで詠んだ短歌に信時潔(『海ゆかば』の作曲者)が曲を付け、1944年の日本放送協会(NHK)の「国民合唱」に収録された。

 大江氏は自ら『靖国神社』を執筆した動機としてこの歌を挙げた。国家のために死んだ兵士の「鎮まる」場所が、故郷の家族のもとではなく「靖国の宮」であり、故郷の我が家には母親の夢のなかで「をりをり」しか帰れない。理不尽な戦争によって愛する肉親を奪われた家族にとってこれほど残酷なことはない。なぜこんなことが許されるのか。自ら抱いた疑問を歴史的に解明するために執筆したのが『靖国神社』であった。

 愛する家族が国家の犠牲となり、遺骸さえ返してもらうこともできないまま、靖国神社に祭神(英霊)として祀ることによって遺族の悲しみを絡め取り、死者が帰らずとも神として祀られることが「名誉」であると思わせる。この「ヤスクニ」思想が戦後も連綿と生き延びてきたためである。

 2012年11月になって日弁連は「日本本土以外の戦闘地域・抑留地域における戦没者の遺体・遺骨の捜索・発見・収容等の扱いに関する意見書」を厚生労働省に提出した。そこでは、戦没者遺骸について国は「旧政府の行為によって死に追いやられた人々の遺体・遺骨を捜索・発見・収容して、個人の尊厳にふさわしい扱いをする責務を負う」べきであり「人は、自己の身体が、自己の死後においてもその尊厳にふさわしく取り扱われることを期待するもの」と述べられている。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 中田光信)

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