2016年04月29日発行 1426号

【沖縄・辺野古 普天間返還合意から20年 県民集会「新基地は造らせない」】

4・12県庁前に1500人

 4月12日夕刻から沖縄県庁前で「日米合意から20年―普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古に新基地を造らせない県民集会」(主催:辺野古新基地建設を造らせないオール沖縄会議)が開催された。

 1996年4月12日、米軍普天間基地(宜野湾市)の全面返還に日米両政府が合意して、20年を迎えた。赤ん坊が成人式を迎えるほどの歳月を経ても、普天間は1ミリも動いていない。辺野古新基地問題の原点はこの合意にある。

 その前年95年9月に発生した米兵少女暴行事件を機に、沖縄県民は米軍基地撤去の激しい闘いに立ち上がる。復帰後最大の闘いの高揚に対し、日米両政府が基地撤去運動を鎮静化するために切ったカードが普天間基地の全面返還≠セった。当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が記者会見。「今後5年から7年以内に普天間飛行場は全面返還されます」の言葉に、県民は喜びに沸いた。

 しかし、喜びもつかの間、普天間の代替施設を県内に移設する条件が付いていたことが後に判明する。移設先に選ばれたのが名護市辺野古だった。県民は日米両政府にだまされたことに怒り、辺野古新基地建設阻止の闘いが始まる。

 今年の4月12日は、安倍政権に辺野古工事を中止させ、和解のテーブルに引きずり出したという局面で迎えた。例年とは大きく違う。県民集会には闘いの前進を確信する県民1500人が結集した。辺野古の工事が完全に止まっていることで、いつもは那覇の集会には参加できない海上行動のカヌー隊や抗議船の船長など大勢参加した。

 登壇した稲嶺進名護市長は「負けない方法は勝つまで諦めないこと」とプリントしたTシャツを着て「民主主義を否定することが通るわけはない。ちばらなやーさい(頑張りましょう)」と呼びかけた。

 県弁護団の加藤裕弁護士は和解成立について「大きな前進だ。敗訴という最悪の結果を免れるために政府は和解したが、知事が辺野古反対の闘いを続けることは制約されていない」と改めて力を込めた。

政府と対決する県

 4月12日を前に翁長雄志(おながたけし)知事はインタビューに答え、「埋め立て承認の取り消しが認められなくとも、承認の撤回など残る権限を行使し、工事を止める」と明言した。これを受け菅義偉(よしひで)官房長官は4月12日、「埋め立て承認は何ら瑕疵(かし)(欠陥)がなく、行政判断は示されているという考えに変わりない」と強調。すると翁長知事は「瑕疵はある。第三者委員会で検証し、私が判断してゴーサインを出した。行政の間違いは、後の知事の権限として正さなければならないという結論だ」と直ちに反論した。

 4月14日、和解合意に基づく「円満解決」に向けた政府と沖縄県の実務担当による作業部会の初会合が開かれた。

 県は、和解成立で工事の法的根拠は失われたため、海上に残されたブイ(浮標灯)、フロート(浮具)、オイルフェンス(油防止膜)の撤去を要請。政府は、フロートとオイルフェンスの撤去は「前向きに検討する」と一定応じた。しかし、12日に閣議決定した「臨時制限区域は常時立入禁止」により、ブイは撤去しない構えだ。どこまでも辺野古に固執している。

 和解成立後も、連日のように沖縄県と政府の火花を散らす闘いが続く。

ゲート前で辺野古総合大学

 辺野古キャンプ・シュワブゲート前では、4月5日から30日まで「辺野古総合大学」が計17カリキュラムで開講した。昨年8〜9月、沖縄県と政府の「集中協議」期間中に初めて行われ今回で2回目だ。これからの闘いの日々に備えて知恵と知識を豊かにと沖縄の基地問題に関する歴史、法律、経済、文化、伝統芸能をはじめテーマは多岐にわたる。海上行動の責任者から映画監督、大学教授、ウミンチュ(海人―漁師の意)まで、幅広い講師陣がそろった。工事が止まってもゲート前はいつも活気あふれる。したたかに闘い抜く力の源泉がここにある。

 県庁前集会に参加したカヌーチームの仲間が語る。「20年間、辺野古に基地が造られていないことに運動の広がりを感じる」。海底ボーリング調査は終わらず、埋め立て工事も行われていない。闘いが工事を止めているのだ。

 20年目の4・12は、新基地建設阻止への新たな決意の日となった。     (N)

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