2016年04月29日発行 1426号

【「牧場ー山内若菜展」閉幕/ペガサスに託した希望、命≠ノ拍手】

 埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館で開かれていた「牧場ー山内若菜展」が4月9日、終了した。

 計31日の展示期間中、記帳した人は396人。若菜さんの地元・神奈川県藤沢市からバスツアーを組んで訪れた市民、群馬の9条の会メンバー、福島から埼玉に避難している元原発労働者、福島県郡山市在住の夫婦、オーストラリアの彫刻家…。さまざまな人たちが、福島の牧場の情景を題材に「命の叫び」を描き上げた作品群に魅せられた。

 3月26日には、取材先の一つ、浪江町の「希望の牧場」吉沢正巳さんの講演会があった。

 講演後、吉沢さんを展示室に案内した若菜さん。必死に足を踏ん張る牛の立体像の前で「見えないものを可視化したかった。立体にすることで、甲状腺がんなんてよく分からないという福島の子どもたちにも、放射能はこんなに怖いんだよと伝わるのではないか」と話す。

 壁いっぱい、2・6m(mは「メートル」を全角1字に)×15mの大作『牧場』。その一つひとつの場面を示しながら、若菜さんは「空気まで汚された事故のイメージと、1頭の牛の命の輝き、330頭の大群の生き生きした姿を浮かび上がらせた。2013年には『お金にならない牛を生かす意味を考えたい』と言っていた吉沢さんが、15年には『残りの人生、牛たちと共に3・11を背負っていく』と。そこに神々しい光を感じた。みんなが形づくる芯(しん)になってくれている」。吉沢さんは「これが俺かい?」と笑わせながら、「時間の経過とともに変わるよね。希望の牧場というネーミングがよかった」と振り返る。

 「希望は?って言われると、私自身この絵に聞いている状態。でも、最後にはペガサスが飛んでいく。ペガサスは不死の象徴。『研究のために牛を役立ててくれ。原発は必ずなくす』という吉沢さんの言葉がペガサスにつながる」。若菜さんの説明に、吉沢さんをはじめ鑑賞者一同から拍手が起こった。

 この日は、若菜さんとともに福島を訪問してきた「月桃の花」歌舞団のステージも。原爆の図を背に「私の命は/私のものだ/私が生きる/私が決める」と歌い上げた歌舞団メンバーは「絵の迫力に背中を押されながら、命の尊さを感じ、思いをこめて歌うことができた」と話している。



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