2016年06月03日発行 1430号

【非国民がやってきた!(233)ミーナ(5)】

わたしは目覚めた女

わたしは立ちあがり 身を焼かれたわが子の灰をかぶって 嵐となる

わたしはわがはらからの流した血の中から立ちあがる

民族の怒りによって力をあたえられた

廃墟と化し 焼き尽くされた村が わたしの中に敵への憎しみをかきたてる

もはやわたしをか弱きよるべなきものと思わないでほしい

おお友よ

わたしは目覚めた女

進むべき道を見つけたわたしは 決して後もどりしない

 1979年12月、革命政権の「要請」のもと、ソビエト軍がアフガニスタン侵略の挙に出ました。ソビエト軍と革命政権軍に対して、ムジャヒディン、反共主義者、イスラム反乱軍が抵抗戦争を始めました。激しい戦闘が始まり、アフガン全土が混乱状況になり、首都カブールは諸党派入り乱れての沸騰状態となりました。

 政権は夜間外出禁止令をだし、監獄は人々で溢れました。隣のイランでも、イラン革命が勃発し、ホメイニが権力を掌握しました。

 ミーナは、激動するアフガニスタンで抑圧と差別に抗し、貧困のため医療や教育から切り離された人々に医療と教育の機会を提供するため、RAWAの活動に専念しました。

 伝統的因習的な女性差別と、社会主義革命の名による流血の弾圧や暗殺の時代に、女性の権利を掲げて歩むことは、ただちに身の危険を意味しました。RAWAは秘密活動に追い込まれ、秘密の組織編成を工夫することになりました。

 RAWAは秘密活動による逼塞状況を打開するため、『女たちの声』というニュースを発行することにしました。1981年4月の創刊号にミーナは「わたしは決して後もどりしない」という詩を掲載しました。

 創刊号表紙には、1980年4月大衆蜂起の時に射殺された女子高生ナヒードの写真を掲載しました。キャプションは「彼女は自分の命を人々に捧げた。彼女は天上に輝く星となり、永遠に我々の心に刻まれるであろう」と付されています。

 『女たちの声』は政権とソビエト軍による虐殺や弾圧を記録しました。1980年代、『女たちの声』はアフガニスタンで、女性への抑圧や脅迫に抗し、女性の闘いを記録した唯一の出版物です。

 RAWAの女性たちは『女たちの声』を各地の女性たちに手渡しで届けました。会員の手から支援者の手へ、支援者の手から友人の手へ、『女たちの声』は女性の苦悩や悲鳴を伝え、来たるべき闘いの灯を届けました。RAWAの読み書き教室で女性たちは熱心に読み、文字を読めない女性のために朗読しました。

おお友よ おお同胞よ わたしをか弱きよるべなきものと思わないでほしい

すべての力をふりしぼって ともに祖国解放への道を歩もう

わが声 立ちあがった幾千の女たちと混じりあい

わがこぶし 幾多の友のこぶしと握りあう

ともにわが民族の歩むべき狭き道をすすむ

すべての苦難と 囚われ人の足かせを砕かんがために

おお友よ おお同胞よ わたしはかつてのわたしではない

わたしは目覚めた女

進むべき道を見つけたわたしは 決して後もどりしない

<参考文献>
ICTA編訳『アフガニスタン女性の闘い』(耕文社、2003年)
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