2016年07月01日発行 1434号

【宮森小ジェット機墜落から57年―伝える会が集会/沖縄から見える日本 どうするあなたは/若者がディスカッション「わたしと沖縄」】

 57年前の1959年6月30日、米軍ジェット戦闘機が沖縄県石川市(現うるま市)の宮森(みやもり)小学校に墜落し、同校児童11人を含む17人が犠牲となった。「宮森・630を伝える会」は、基地と隣り合わせの危険を教える惨事を忘れまいと、例年この時期に集いを開いている。今年は6月18日、明治学院大学でジュゴン保護キャンペーンセンターや原爆の図丸木美術館とつくる実行委員会の主催により「沖縄から見える日本〜戦争へと向かう?どうするあなたは!」と題して行われた。

 伝える会の牛島貞満さんがあいさつ。「基地あるが故の事件・事故が続く現状を私たちは変えてこられなかった。宮森小への墜落は60年安保の国会デモが繰り広げられていた時期に起きたが、国会審議では1回取り上げられただけ。巨大な基地が身近にあることがどういうことか、私たちは想像しながら生活しているだろうか」と問いかけた。

 東京新聞の半田滋さんが辺野古新基地と先島諸島への自衛隊配備について講演した第1部に続き、第2部では辺野古に通う若者たちが「わたしと沖縄」のテーマでパネルディスカッション。

 早稲田大4年のきもと≠ュんは沖縄基地問題との出会いを「今年2月、初めて沖縄へ。生活に根ざしたアイデンティティを感じ、衝撃を受けた。自分に分からないことも含め、自分の問題として考えたいと思った」。明治学院大4年のさくら≠ウんは「沖縄出身の友人の勧めで辺野古の動画を見て、『これっておかしい』。基地問題を知れば知るほど、解決できないのは本土の人が『自分に関係ない』と何も言わず、沖縄の人に押しつけているからだと思うようになった」と振り返る。

 パネリスト中ただ一人沖縄から参加した、キャンプ・シュワブを臨む名護市瀬嵩(せだけ)の出身で琉球大1年の武龍=iたけりゅう)くん。新基地建設の是非を問う名護市民投票があった1997年に生まれた。反対運動に携わる両親におんぶされ、街頭演説の大声を泣いて聞きながら育つ。「ゲート前で毎週土曜夕、ペットボトルで作ったキャンドルを持って車に手を振るピース・キャンドルの活動を始めた。今年で14年になる。かっこよく言えばアイデンティティだが、僕たちが最初に考えたのは自分たちの生命の維持だ。米兵も一人の人間。彼らとの間を隔てる軍事基地という柵≠なくしたい」

 武龍≠ュんは続けて「沖縄と本土の温度差をどう乗り越えるか」と課題を提起。きもと≠ュんは「一人ひとりに自分のこととして考えてもらうこと。自分たちの力で変えられるという希望を持つこと」、さくら≠ウんは「周りの子もみんな生活の不安がある。日常の会話の中にちりばめ話していけば、ハードルは高くない」と応じた。

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