2016年07月01日発行 1434号

【シネマ観客席/辺野古 圧殺の海 第2章/藤本幸久・影山あさ子監督 森の映画社 2016年 107分/国家の暴力と民衆の抵抗の記録】

 沖縄県名護市の米軍新基地建設に反対する人びとの抵抗に密着したドキュメンタリー映画『圧殺の海』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)。その続編となる『辺野古』の全国公開が始まった。本作は、翁長雄志県知事の誕生から今年5月までの、激動の17か月間の記録である。闘いの最前線に24時間体制で張り付いたカメラは何をとらえたのか。

警備ではなく弾圧

 本作品は一種の疑似体験型ムービーだ。基地建設に反対する市民に襲いかかる機動隊や海上保安庁の姿をカメラは至近距離で映し出す。観る者は、自分も海に沈められたり、地面に押し倒されるような気分に陥る。沖縄の劇場公開では客席からすすり泣く声が聞こえたという。

 沖縄の民意は「辺野古に新基地はつくらせない」と明言する翁長県政を誕生させた。それなのに、安倍政権は「粛々と進める」とうそぶき、工事を再開。反対する人びとを力づくで排除しようとしてきた。国家権力の本質が暴力にあることがよくわかる。

 映画は海上保安庁や警察の蛮行を克明に記録している。市民の抗議船に次々と乗り込んでくる海上保安官。船がバランスを崩してもお構いなし。明らかに転覆を狙った行為だ。海に投げ出された市民を拘束し、頭を何度も水中に沈める。肉体的・精神的ダメージを与えることで、抗議活動を止めさせたいのだ。

 工事用の台船に泳いで向かおうとしていた男性に海保がゴムボートを衝突させた場面には背筋が凍り付いた。ゴムボートといってもエンジン付の高速艇であり、船底は固い強化プラスチックでできている。これが地上なら完全に轢き殺されている。

 市民の船に乗り込んだ海上保安官が「制圧しますか」と上司の指示を仰ぐ場面も。そう、連中が行っているのは警備なんかじゃない。正当な抗議行動の制圧=圧殺だ。

ゲート前の闘い

 陸上では、キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みをする市民を機動隊員が暴力的に排除していく。手足を乱暴につかんでごぼう抜き。「痛い。やめて」と叫ぶ高齢の女性にも容赦ない。機動隊員数人に組み伏せられた年配の男性は頭から血を流す…。

 2015年11月からは、地元沖縄県警に加え、デモ鎮圧の精鋭部隊として知られる警視庁第4機動隊が投入された。首相官邸の意向を受けての派遣である。ちなみに、連中は1泊2万円の高級リゾートホテルに宿泊している。その費用が私たちの税金であることは言うまでもない。

 機動隊員の中にはまだあどけなさを残す顔立ちの若者が大勢いる。そんな連中が親や祖父母の世代にあたる市民に暴力を振るう。内心の動揺を隠すためか、やたらと挑発的になったり、暴言を浴びせかけたり。権力の手先となって動く彼らの表情は一様に引きつっている。

 対する市民たちはどうか。警察と対峙するときはもちろん厳しい表情なのだが、そうでないときはどこか解放感がある。替え歌で仲間を鼓舞したり、勝利の喜びを全身で表現したり、病のため現場を一時離れるリーダーを思いやったり…。工事車両の出入りを防ぐために積み上げたブロックを「愛のオブジェ」と名付けるユーモアには思わず笑ってしまった。

 国家の暴力に屈せず、海で陸で粘り強く続けられた闘いは、埋め立てをめぐる国と沖縄県の裁判を「和解」に導き、工事を中断させた。人間性で優位に立つ側が負けるはずがない−−そんな確信を映画は与えてくれる。

映画を広げ安倍に勝つ

 藤本、影山両監督が辺野古取材を始めたのは2004年11月のこと。「当時と今とではメディアの扱いが違う」と影山監督。東京のメディアが現場に来なくなったというのだ。毎日来ているのは沖縄の地元新聞2紙と本作品のスタッフしかいないという。

 海の撮影を担当した影山監督は「映像記録がなければ事実がなかったことにされる」との思いでカメラを回し続けた。カメラを奪おうとした海上保安官に首を足で締め上げられたこともある。

 「辺野古は最前線。安倍政権がやりたいことを端的に見せている。反対する者、抵抗する者を非国民扱いして排除するということだ」。だから、この映画で「現場」を見せたい影山監督は言う。「目標はまず10万人。100万人が観たら絶対安倍に勝てる」。監督の訴えに応え、鑑賞・上映運動を大きく広げたい。(O)

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 桜坂劇場(那覇市)、シアターセブン(大阪市・十三)で上映中。6月25日よりポレポレ東中野(東京都中野区)。7月16日より名古屋シネマテーク(名古屋市千種区)。詳しくは、森の映画社・札幌編集室(電話・FAX011-206-4570 http://america-banzai.blogspot.com/)



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