2016年07月08日発行 1435号

【ZENKO沖縄連帯ツアー(6/18〜6/20)/県民大会・辺野古抗議行動をともにして】

 6月の連帯ツアーでは、15人が県民大会に参加し辺野古現地を連帯訪問した。参加者に報告を寄せてもらった。

生存権をかけた闘い わがこととして連帯

 沖縄を初めて訪れたのは35年前。政府が教科書から県民「殺害」の表記を消したときだ。どこに行っても基地があることに驚き、人びとの怒りの声を聴いた。以来、1995年の少女暴行事件抗議の県民大会、97年の名護市民投票支援などに参加してきた。

 昨年は私の地域で辺野古基地建設の是非を問う市民投票運動に取り組み、街頭で多くの人々と語り合った。豊かな自然と優しい人々、捨て石にされた戦争の歴史、軍隊に脅かされる日常。沖縄のさまざまな現実に対する自分なりの思いと行動を踏まえ、今回のツアーに参加した。

 県民大会で「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」と6万5千人が高く掲げたプラカードが今の沖縄の心情を表している。安倍政権は私たちに「国家あっての国民(沖縄)。多少の犠牲はしかたのないこと」という軍隊の論理を押しつけてくる。大会では若者から「私たちは奴隷ではない」という発言があった。知事の県民への呼びかけは、自治権以前の生存権をかけた闘いの決意表明なのだ。

 「第二の加害者は本土の皆さんではないか」との指摘もあった。これに真剣に向き合う上での展望は、県民大会にもキャンプシュワブ前の座り込みにも多くの本土からの参加、若者の参加があったことだ。女性の遺体遺棄現場にも若者が多数訪れていた。

 私は、沖縄にかけられた攻撃を「わがこと」として受けとめ行動する若者たちに未来を感じ、そこにつながって今後も沖縄に連帯する闘いを続けていこうと決意した。

(ZENKOかながわ・神谷宗孝)

限界超えた≠ノ応え/アベ政治を絶対変える

 またしても、悲惨な殺人・死体遺棄事件が起きてしまった。悲しみと憤り、どうすれば連帯できるのかを共有したいと県民大会に参加した。

 梅雨明けの炎天下、喪服を通してジリジリと肌が焼けつく。何事も、いつも明るくしなやかに笑い飛ばしてきた沖縄の人たち。この日は、静かに、我慢できない痛恨の思いで続々と集まって来る。我慢は限界を超えた≠ェ沖縄の人たちの心情だ。全基地撤去、海兵隊出ていけ、辺野古新基地完全中止が平和で安全な沖縄をつくっていく―痛いほどその思いを感じた。

 しかし、必死に絞り出すようなこの思いに応えることなく、口だけの謝罪と「綱紀粛正」で何も解決しようとしない日米両政府や、「政治的利用」と不参加を決め込んだ自民、公明党、おおさか維新の会。犯罪的だと思った。こんなバカな政治は絶対変えていかなけれはならないと思った。

 ツアーで得た共感を身近な人以外にも広く伝えたい。蛮行が繰り返されないよう、わたしたちで変えていく積み重ねこそ沖縄の思いに応えていくことだと強く思った。

(ZENKO大阪・糸賀孝子)

闘いが潮目を変えた そして未来を近寄せる

 「怒りの限界は超えた!」それが6・19沖縄県民大会の声だった。この叫びは、辺野古新基地を拒絶する「海兵隊は撤退せよ!」の声として、キャンプ・シュワブゲート前の座り込みへと繋がる。沖縄県民に合流すべく、県外から駆け付けた人たちも座り込む。

 長年にわたる粘り強い闘いが「潮目を変えた」。

 官憲の手出しは弱々しく、わずか2〜3人の抗議活動でもYナンバーの車両を停止させることができる。「沖縄をレイプする事を決して許さないゾ!」のプレートを米軍兵士の目の前に突きつける。どの兵隊も目をそらせて、私たちの抗議の言葉を見ようとしない。問題に向き合わないことが不正義の根源だと言うのに。彼らは視線を外す。一人の女性兵士は私たちの抗議から顔を背けつつ、その表情は引きつっている。

 ゲート前で「基地はノー」のプレートを掲げていると、その前を通過するバスの運転手や乗用車の助手席に乗っている沖縄県民が手を振って応えてくれる。頑張れよ、私もあなた方と同じ気持ちだよ≠ニの意思表示なのだ。そんな「島ぐるみ」の心強い連帯の姿に励まされ、炎天下の抗議行動はとても爽(さわ)やかだった。

 辺野古新基地反対の活動はしなやかに闘われる非暴力抵抗で、着実に安倍政権と米国・海兵隊を追い詰めている。総(すべ)ての人びとの強い意志としなやかな抗議が、全(すべ)ての基地を撤去させる未来を近寄せる。月桃の花が美しく咲く平和な沖縄の未来を近寄せる。そう実感する沖縄連帯ツアーだった。

(大阪 寝屋川市 T・D)



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