2016年07月22日発行 1437号

【坂井美穂のじゃらんじゃらんinインドネシア 現地報告番外編 ロームシャとDeath Railway】

 みなさんこんにちは。実は現在日本に一時帰国中です。もはや何が番外編なのか本編なのかわかりませんが、前回に続き、スマトラ鉄道とロームシャについてお話ししたいと思います。

 リアウ州の州都であるプカンバルから西スマトラ州のムアロ・シジュンジュンという町までの新区間が、日本軍政下の1942年冬から建設され始めました。実際の全面運用は叶わなかったそうですが、この区間で220〜230`ほどあります。

 ロームシャはいろんな方法で集められました。地域で村長などを中心にして労働力となる男性をリストアップし、有無を言わせずトラックで連れて行く、映画館など娯楽施設に集まった人を学校に行かせてあげるなど騙して大量に動員する―いろいろあったようです。特にこういった地方の強制労働では、情報の漏えいを防ぐためや地元の人とのコミュニケーションを防ぐために、全然別の島(ジャワ島からが多いようです)からロームシャが動員されていました。

 ろくに衣食住も保証されず骨と皮だけになり、朝から晩まで働かされ、中には工事中にダイナマイトの爆発に巻き込まれて死亡してしまうロームシャも少なくありませんでした。上官に助けを求めると、「死んだほうがよい、放っておけ」と言われたとの話も聞きました。

 常に監視され、逃げ出すことは困難だったようです。終戦を迎え、解放されたのちでも、お金がないので故郷に戻ることができず、仕方なく現地で暮らし続けたという元ロームシャの方もいらっしゃいました。

 この辺りには、ロガスという地名があるのですが、ロガス・タンコー(Logas Tangko)と今でも呼ばれているのです。昔から石炭が採れる炭鉱で、この石炭を運搬するために鉄道本線からロガス線という支線を建設し、列車を走らせていました。しかしその裏では、多数のロームシャが犠牲となったため、まさに「Death Railway(死の鉄道)」と呼ぶにふさわしい鉄道だったのです。

(坂井美穂・アンダラス大学人文学部招聘教員)

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