2016年09月02日発行 1442号

【シネマ観客席/シン・ゴジラ/脚本・総監督 庵野秀明 監督 樋口真嗣 119分/危険な有事シミュレーション】

 12年ぶりの国産ゴジラ映画となる『シン・ゴジラ』が大ヒット上映中だ。「ニッポン対ゴジラ」と銘打った本作品は、東日本大震災と福島第一原発事故をモチーフにした有事シミュレーションドラマに仕上がっている。ゴジラ来襲という「国難」に挙国一致で立ち向かう−−そんな物語がなぜ支持されるのか。

モチーフは3・11

 1954年の『ゴジラ』第1作には戦争体験や原水爆への恐怖が色濃く反映されていた。そもそも、米国の水爆実験で日本のマグロ漁船・第五福竜丸が被曝した事件を企画のヒントにしている。ゴジラは核兵器もしくは戦争の暗喩であり、それは当時の観客にとって自明のことであった。

 原点回帰を目指したという『シン・ゴジラ』も「戦争体験」を下敷きにしている。日本にとって「第二の敗戦」というべき東日本大震災と福島第一原発事故のことだ。今回のゴジラが制御不能に陥った原子炉の象徴であることは誰の目にも明らかであろう(以下の文章、ネタバレあり)。

 巨大不明生物が東京湾に出現。「想定外の事態」に政治家や官僚は右往左往するばかり。御用学者の言うこともあてにならない。緊急記者会見を開いた総理大臣が「上陸の可能性はない」とテレビで断言した途端、巨大不明生物は蒲田に上陸。建造物をなぎ倒しながら北上する。

 自衛隊出動をめぐって会議は空転。その間にも被害は拡大していく。ようやく戦後初の防衛出動が行われるが、総理が市街地での武器使用をためらい作戦は中止に。海に逃走した巨大不明生物が再び現れたとき、自衛隊の火力では太刀打ちできない大怪獣ゴジラに変貌していた…。

 ここまでの展開は原発事故の際の日本政府の混乱ぶりそのものだ。3・11の記録資料を徹底的に調べ上げ、政府関係者や官僚にも直接取材しているだけあって(取材協力者に当時の官房長官・枝野幸男らの名前がある)、劇中のやりとりは迫真性に満ちている。また、自衛隊の全面協力を仰ぎ、作戦行動や隊員の言葉遣いに至るまで本物感を追求した。映画の前半に限れば、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」というキャッチコピーに偽りはない。

実は「願望」の物語

 ついにゴジラは都心に侵入した。官庁街は焼き尽くされ、総理以下閣僚の大半も犠牲になる。国連の名の下にゴジラ対策を管轄することになった米国政府は熱核兵器の使用を決定する。唯々諾々と受け入れるしかない属国日本。これが「日米同盟」の現実か。「戦後は続くよ、どこまでも」というわけだ。

 そんなダメ日本が映画の後半になって覚醒する。生き残った若きリーダー矢口(内閣官房副長官)の下、各界のはみ出し者たちが官民一体で奮闘。核攻撃よりも前にゴジラを倒すべく、決死の作戦を敢行し、見事「冷温停止」に成功するのであった…。

 『シン・ゴジラ』はこんなお話である。個々の日本人は勤勉で優秀。立派な指導者さえ出てくれば、日本はまだやれる。今こそニッポンの底力を示せ。米国の言いなりにはならないぞ、というわけだ。怪獣映画版の『プロジェクトX』というか、こうあって欲しかった「もうひとつの3・11物語」と言ってよい。

 近現代史研究家の辻田真佐憲(まさのり)は、「願望(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」が本作品の正確な内容だと指摘する。同感だ。現実の日本政府は覚醒するどころか原発事故の反省すらしていない。安倍晋三首相に至っては、オバマ米大統領が検討中の核兵器の先制不使用政策に反対している。それに貧富の格差は広がるばかり。国民的団結の基盤自体が壊れている。

 映画の後半もリアルさにこだわるなら、富裕層がさっさと逃げ出した東京に核ミサイルが撃ち込まれる展開になるはずだが、それでは観客がひいてしまう。「現実の日本は無能どもが仕切ってる。そんな現実を忘れていい気持になるために娯楽映画はある」という感想はもっともだ。

危険な錯覚へ誘導

 だが、このような意見は少数派で、ネットの反応をみると熱い礼賛であふれている。「絶望的な状況に追い込まれても、目の前の仕事を黙々とこなしていく日本人たちが、国難に立ち向かい、未来に国を残していくために闘う。そんな話、燃えないわけないじゃないか」「まだまだ日本は捨てたもんじゃないです。そんな気持ちになりました」「自らの命を捧げて任務を遂行した、特殊建機第一小隊の英霊達に敬礼」等々。

 映画前半の内閣を民主党政権、矢口ら若手政治家を「安倍さんをはじめとする今の新生自民」とする見立ても出回っている。これは極端な意見としても、3・11を経験した国民の間には「非常時に機能しない政府はダメ」という意識が定着している。安倍自民党の改憲戦略=「緊急事態条項」の導入を是認する空気は確かに存在するのである。

 「平和ボケの老害を排除すれば日本は真の独立国として再生する」。そのような錯覚を『シン・ゴジラ』を観て抱く人も中にはいるだろう。だが、決断力のある指導者を求めるあまり「非常大権」まで許してしまうなら、それは私たち市民に恐るべき災厄をもたらすことになる。映画の登場人物も言っているではないか。「ゴジラより怖いのは人間です」と。    (M)



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