2016年09月09日発行 1443号

【天皇「退位」メッセージをどう見るか 危険な天皇の「公的行為」 象徴£エえる組織・扇動は憲法違反】

 8月8日、高齢を理由にして退位の意向をほのめかす天皇のメッセージが公開された。憲法にも皇室典範にも天皇の退位に関する規定はないから、それを可能にする皇室典範の改正や、明仁(あきひと)天皇にのみ1代かぎりで適用される特別法の制定などが対応策として取りざたされている。

「公的行為」は違憲

 日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めており、その第7条は「国事に関する行為」のすべてを、あいまいさを残すことなく網羅的に掲げている。

 つまり、憲法は天皇という国家機関に対して、範囲が明瞭に限定された国事行為の遂行しか認めていない。それにもかかわらず、前天皇である裕仁(ひろひと)、そしてとりわけ現天皇の明仁は、国会開会式への出席とその際の「お言葉」、国民体育大会・植樹祭への出席、国内におけるかつての戦地・災害被災地や外国の訪問といった、国事行為でも私的行為でもない行為をくり返してきた。しかも、そうした行為は政府とマスコミにより、憲法上の根拠をもたない(というよりも、第4条にもとづくなら憲法違反である)にもかかわらず「公的行為」であるとして正当化されてきた。

 ちなみに自民党の改憲草案は、現行憲法の第4条にある「国事に関する行為のみを行ひ」の「のみ」を削除し、「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」という新たな規定を挿入している。これは、違憲の疑いがかけられてきた天皇の「公的行為」を合憲にし、それをいっそう拡大しようとする自民党の意図を表わしている。

 そもそも現行憲法によれば、天皇は「日本国民統合の象徴」(第1条)でしかないのであって、その行為により「国民」の「敬愛」の念を集め、それを経由して愛国心を醸成するといった能動的な機能を担うのではないし、担ってはならない。憲法のいう「象徴(シンボル)」とは、実在するもの、またはオリジナルであるものを、それらに代わって表現するだけである。もしかりに「象徴」がオリジナルであるものに働きかけてそれを変容させるなら、「象徴」は〈象徴〉としての地位を踏み越え、組織者・扇動者としての役割を果たすことになる。憲法は、そうした組織者・扇動者としての役割を天皇に認めてはいない。

 高齢化した天皇にとって過重になっているとされるおびただしい数の「公的行為」は、天皇に敬愛の念や親近感をいだく「国民」だけが結束を強めて、天皇または天皇制を批判したり嫌悪したりする人びとを「非国民」として排除する機運を産むという点では、百害あって一利もない。したがって「公的行為」は、それが天皇にとって重荷ならなおいっそう中止するべきである。

 そして、形式的・儀礼的なものにすぎない国事行為もまた天皇にとって過重負担であるなら、「国事行為の臨時代行に関する法律」(1964年)に沿って他の皇族に委任を行なうか、あるいは憲法と皇室典範が定めているように(皇族のなかから選ばれる)摂政を置けば済む話である。

先例作りを許すな

 ところが、天皇は8月8日のメッセージにおいて、「公的行為」の縮小・中止と摂政の設置の両方を、負担軽減のための選択肢から除外した(資料の(1)と(2)を参照)。それは、明仁が執念深く意識的に追求し構築してきた〈国民を積極的に統合する機能を果たす象徴天皇〉を存続させたいという、彼の強固な意志によって裏づけられている。天皇のそうした執念は、あのメッセージに盛り込まれたいくつかの文言が物語っている(資料の(3)と(4)参照)。天皇は、「公的行為」の縮小と摂政の設置がいずれも、彼の考える象徴天皇の機能を決定的に弱めてしまうことを危惧しており、「公的行為」は摂政ではなくて天皇自身が取り組まなければ効果がないと考えているのだ。

 明仁が模索し実践してきた象徴天皇制は、大日本帝国憲法下における「統治権の総覧者」としての天皇よりははるかに無難なように見える。しかし、それは実際には、愛国心を醸成しながらキナ臭い部分はすべて政府に責任を押しつけるという点で、洗練された危険性を帯びている。天皇は2015年8月15日の全国戦没者追悼式で、「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」などと語った。天皇の言葉のそうした断片が、あたかも安倍政権の戦争政策に対する天皇の懸念を表現しているかのように解釈しうる余地を残していることも、国策に対する人びとの警戒心を殺(そ)ぐ効果を有している。

 いわゆる「公的行為」こそが、明仁の理解する意味での象徴天皇の機能(国民を積極的に統合すること)の根幹をなしていることを、資料(4)の言葉は示している。天皇と皇后はときに、災害の被災者が避難している体育館の床にひざまずいて人びとに話しかけ、一般の「国民」に寄り添っているかのように振る舞う。だが、資料(5)の言葉は、天皇らのそうした振る舞いが実は、「いきいきとして社会に内在」する姿を人びとの心にくり返し刻み込むことで、憲法の定めるものとは異なる能動的な象徴天皇制を永続させようとする、意図的・計画的な行為であったことを告げている。

 「公的行為」の縮小・中止と摂政の設置を両方とも拒絶するメッセージが政治的影響力の行使にほかならないことを、天皇本人も十二分に自覚している。天皇はあのメッセージを、「『憲法違反』と批判される覚悟をもって発した」(宮内庁関係者)とされているからだ。もしかりに天皇の意向を世論と政府と国会が承認して法律の改正・制定を行なうなら、それは現行憲法の定める象徴天皇制を突き崩し、政治的な権能を有する天皇という新たな国家機関が形成されていく先例をつくることになる。そうした超憲法的な権能を明仁以後の天皇が意識的に行使しないという保証は、どこにもないのである。

<資料 天皇のメッセージからの抜粋>

(1)天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為〔いわゆる「公的行為」〕を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。

(2)天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりにいたるまで天皇であり続けることに変わりはありません。

(3)象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続くいていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

(4)天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という立場への理解を求める〔中略〕必要を感じてきました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました。

(5)日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

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