2016年12月30日発行 1459号

【厚木基地爆音訴訟で最高裁不当判決/改憲案先取りし「公益」で人権制限/軍事に公共性はない】

 12月8日、最高裁は第4次厚木基地爆音訴訟で原告敗訴の不当判決を言い渡した。軍事に「公共性・公益性」を認めたこの判決は、憲法の番人でなければならない最高裁自らが、憲法原理である平和主義、基本的人権の尊重を踏みにじった暴挙だ。

 厚木基地は神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる米軍・自衛隊共用基地だ。深夜にわたる航空機訓練の爆音に悩まされ続けてきた周辺住民は、爆音被害への賠償と飛行差し止めを求めて1976年に第1次訴訟を提起。以来、40年にわたり裁判を闘ってきた。

 飛行差し止めについては、第1審の横浜地裁と第2審東京高裁が初めて自衛隊機の午後10時から翌午前6時までの差し止めを認めた(米軍機については認めず)。

 損害賠償については、第2審判決は、過去の損害分に加えて厚木基地を使う米海軍航空団が他の基地に移転するまでの間に被るだろう「将来の被害分」として2016年末までの賠償を命じた。過去の損害賠償分については、住民側も国側も上告せず確定。

 最高裁で争いとなったのは、米軍機・自衛隊機の飛行差し止めと将来分の損害賠償だ。

「人であるのか?」

 米軍機の飛行差し止めについて、最高裁は第2審判決を支持し認めなかった。「国の行政処分が存在しない」というものだ。

 行政側が法令に基づいてその権限を行使し一方的に何らかの決定を行うことを「行政処分」という。つまり、米軍機飛行訓練は米軍の指揮権で決定されており、日本政府=防衛大臣の決定ではないから行政訴訟における「行政処分」は存在せず争いの対象にできないというのだ。あわせて、日本政府の支配が及ばない米軍機の飛行について住民が国に差し止めを求める権利はないとした。「米軍機の飛行に日本政府は関係ない」と門前払いだ。

 最高裁判決は、裁判手続きを定めたに過ぎない行政事件訴訟法や民事訴訟法の解釈のみで住民の平穏な生活を営む権利を押しつぶした。

 個人の生命、身体、精神、生活に関する権利を合わせて人格権という。これは憲法上の権利であり、生命を基礎とするため、人格権を超える価値はない。とりわけ、生命を守り生活を維持する人格権の根幹に対する侵害は、人格権そのものに基づいて差し止めを請求することができる。

 「静かな空を返せ」という住民の要求は、米軍機の飛行により損なわれた平穏な生活=人格権の回復であり、政府は国民の人権を擁護する責任ある。そして、厚木基地を米軍に提供しているのは日本政府だ。ならば、あれこれの手続き法のみで審査するのではなく、憲法そのものに照らして政府に対し「米軍機の飛行をやめさせよ」と判決し住民の人格権を守るべきた。

 厚木訴訟原告として4世代にわたって名を連ねてきた原告は「司法には、怒りを通り越して『人間でいらっしゃるのですか』という思いです」と述べている。至高の価値である人格権にすら思いを致さない裁判官はもはや被害住民と同じ人≠ナはない。到底裁判官である資格はない。

「軍事は公益」と忍従迫る

 最高裁判決は政府の権限で行われている自衛隊の飛行差し止めも認めなかった。

 その理由は、自衛隊の「公共性・公益性」だとする。

 判決は「厚木基地駐留の海上自衛隊第4航空群は、周辺海域の哨戒任務を中心に民生協力活動、国際貢献、教育訓練などを行ってきた。自衛隊機の運航は極めて重要な役割を果たし、高度の公共性、公益性がある。訓練のための運航も平素から必要不可欠。夜間運航も同様」とした。軍事訓練に「高度の公共性・公益性がある」としたのだ。

 憲法第29条は財産権を保障すると同時に正当な補償の下で公共のために用いることができるとする(第29条)。その手続法として道路事業などの公共事業でいわゆる「強制収用」「立ち退き」を可能とする土地収用法がある。「公共の利益」が条件だ。だが、侵略戦争への反省から戦力不保持を定めた日本国憲法の下で、軍事に公共性は認められてこなかった。

 例えば、米軍用地の賃貸借契約を拒否する沖縄反戦地主への基地用地提供の強制は、公共性・公益性が要件となる「土地収用法」ではなく、「米軍用地特別措置法」など個別の法律で行われてきた。自衛隊基地をめぐる裁判でも「軍事の公共性」が根拠とされることはなかった。憲法の下では、憲法原理に反する軍や軍事に公共性も公益性もないのである。

 最高裁は住民の爆音被害について「睡眠妨害の程度は深刻で軽視できない」とする。一方で、防衛大臣による自衛隊機運航の権限は「運航で周辺住民にもたらされる騒音被害の程度などを総合考慮してなされるべき、高度の政策的、専門技術的な判断を要し、権限行使は広範な裁量に委ねられている」とし審査。その上で1兆440億円の「周辺対策」なるものを異常に過大評価し、住民の飛行差し止め請求を却下した。

 つまり、爆音被害を住民に忍従させるかどうかは、防衛大臣の腹一つ。カネさえかけていれば効果がなくとも「深刻で軽視できない被害」を国民は受忍すべきというのだ。

自民改憲案と同質

 近代立憲主義は国家権力を縛る。何のために縛るのか。権力による人権侵害を許さないためだ。基本的人権が制約を受けるのは、唯一公共の福祉=¢シ者の基本的人権を侵すことを防ぐためだけだ。

 しかし、自民党「憲法改正草案」は「公益及び公の秩序に反しない限り」として人権を制限する。その「公益」を定めるのは政府だ。

 厚木訴訟最高裁判決は、軍事に「公共性・公益性」を認め、「公共性・公益性」を理由に深刻な人権侵害も肯定し、人権侵害と国策を天秤にかける強力な権限を政府に認めた。これは二重・三重の憲法違反を意味する。その論理は自民党改憲案の先取りだ。

 憲法を擁護し権力を縛り人権を擁護する自らの存在理由すら放棄した厚木訴訟最高裁判事に裁判官たる資格はない。最高裁裁判官国民審査での断罪を呼びかけ、判決批判とともに基地撤去、改憲反対の運動をいっそう広げよう。



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