2017年01月06日・13日発行 1460号

【いすゞ「非正規切り」争議が全面解決/「21世紀の奴隷制」との闘いをけん引/大企業の責任 追及し続ける】

 いすゞ自動車「非正規切り」争議が、会社とJMITU(日本金属製造情報通信労働組合)間の話し合いによる合意成立で全面解決した。JMITUと同いすゞ自動車支部などは12月4日、「8年にわたるあたたかいご支援ありがとうございました」とする声明文を発表した。

 2008年秋、リーマンショックに端を発した世界金融恐慌による「減益」を口実に、製造業を中心としたグローバル企業は非正規労働者の大量首切りに乗り出す。いすゞ自動車の藤沢工場(神奈川県)と栃木工場で働く期間工・派遣労働者1400人は同年11月、契約途中の年内いっぱいで全員解雇の通告を受けた。翌月、JMIU(全日本金属情報機器労働組合=当時、現JMITU)いすゞ自動車支部が結成され、解雇撤回闘争がスタートする。

 栃木工場の派遣労働者だった五戸(ごのへ)豊弘さんは、闘いに立ち上がった思いをこう振り返る。「正社員と同じ職場で同じような仕事をしていながら、なぜ賃金が安いのか。なぜ福利厚生も差別されなくてはならないのか。最大の問題は、いとも簡単に解雇されてしまうこと。非正規という働き方そのものを変えたかった」

 経営者による好き勝手な首切りを防ぐため、「解雇の必要性」「解雇回避努力」などの整理解雇4要件が判例で確立されてきた。「ところが、派遣など非正規には適用されない。いつ首を切られても不利益にあたらない、もともとそういう契約だから文句は言えない、というのが裁判所の判断」と五戸さんは憤る。

 いすゞ争議は非正規労働者差別を許さない闘いの牽引(けんいん)役となっていった。結成された組合は会社との団交で、契約期間途中の全員解雇案を撤回させる。休業扱いによる賃金の減額は不当と訴えた仮処分申請では、宇都宮地裁栃木支部から全額支払いを命じる決定を引き出した。派遣元を相手取った労働審判でも勝っている。「派遣社員であっても派遣元と雇用契約を結んでいるのだから中途解雇はだめとし、派遣の労働審判で2番目の労働者側勝利」という。

 職場でも、非正規労働者の要求実現に奮闘。日給引き上げやサービス残業撤廃、パワハラ禁止などに加え、派遣社員用の駐車場を整備する、女性用のトイレを増やすといった差別是正の改善を実施させた。『KOECHIKA(声が近い)』とネーミングしたビラを配布、「不満があったらここへ」と連絡先を記し、組合加入を呼びかけた。

 一方、地位確認や損害賠償などを求めた本裁判は、12年4月の東京地裁、15年3月の東京高裁と請求棄却の不当判決が続き、16年7月最高裁で敗訴が確定する。地裁判決後の記者会見で「派遣労働者の人権を無視し、21世紀の奴隷制度を助長する判決で怒り心頭」と語った五戸さん。しかし、8年間の闘いは多くのものを残した。「日本全国を歩き、いろんな人と出会えたことが何よりの宝。同じような裁判を闘っている原告と思いを一つにできた」

 中でも支えになったのは、同じ栃木で非正規争議を闘う仲間の存在。「(キヤノンの)阿久津(真一さん)とかホンダの桜井(斉(ひとし)さん)と知り合い、非正規雇用労働組合ネットワーク栃木を作って一緒に行動した。阿久津は人使いが荒かったね(笑い)。でも、いろんなアドバイスをくれた。外部の団体のオルグもけっこうやってたから、見習うべきことが多かった」

 労働組合の枠を超えて闘いを広げる。その大切さを五戸さんに説いたのは、金属産業の合理化反対・権利擁護に向け組織された金属反合(金属機械反合闘争委員会)の石川武男委員長だ。「亡くなる少し前に『五戸と(日産の)阿部(恭さん)は労働組合の縦割りをぶっ壊せ』と。『どうすればいいんですか』って聞くと『自分らで考えろ』」。その遺志を継ぎ、JMIU以外の組合や生協、民主団体にも支援を訴えて回った。「支援に来てもらう代わりにこちらも支援に出かける。そこは持ちつ持たれつ」

 自らの争議が解決した今、五戸さんは次に何をめざすのか。「派遣という言葉自体をなくす。人を集めて別の会社で働かせるというやり方をやめさせる。貧困と格差をつくったのは大企業。こういう世の中にした大企業に社会的責任を果たしてもらわないと」。今も、いすゞ本社近くの駅頭などで宣伝行動を続ける。「ともかく訴えること。ビラを配ればメールがいっぱい来る。“どうしようもない”“何とかしてくれ”という人はいっぱいいる」

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