2017年01月06日・13日発行 1460号

【非国民がやってきた!(248)ジョン・レノン(11)】

 マイク・ダグラス・ショーに出演したジョンは「愛、平和、コミュニケーション、ウーマン・リブ、人種差別、戦争。ぼくたちがこれから話し合いたいのは、こういうテーマだ。それがいま起こっていることだからね」と語りました。ミュージシャンとしてのジョンの言葉ですが、FBIにしてみれば、ニクソン大統領に対する宣戦布告に映ったのかもしれません。

 ジョンとヨーコに対する監視は、FBIによる監視行動の中でも珍しい事例と言われます。

 第1に、ジョンはミュージシャンであって、政治家でも評論家でもありません。サブカルチャーのロック・スターには、反戦歌をはじめ政治的メッセージを発信する例は珍しくありません。しかし、FBIが動くことはなかったでしょう。

 第2に、監視行動を提案したのは、政府であったことです。捜査結果はフーヴァー長官だけでなく、ニクソン大統領にも届けられた可能性が指摘されています。

 第3に、ジョンがすでに行ったことが理由というよりも、これから行うかもしれないことが理由とされたことです。FBIが政治的予防主義を採用することは意外ではありませんが、他にもっと重要な政治家や評論家がいたはずです。ジョンの若者への影響力が脅威となるかもしれないと注目したのでしょう。

 第4に、その脅威とは、アメリカ国家の安全や社会秩序や公共の平穏に対するものではなく、目的はニクソン大統領の地位保全でした。

 1972年2月11日の「FBI現状分析報告書」には「レノンの資産力と知名度が、大統領選挙年戦略情報委員会における影響力を無視できないものにしている。すべての重要なイベントが彼を中心に計画されている。」と記録されています。

 大統領選挙年戦略情報委員会とは、レニー・デイヴィスやジェリー・ルービンら左翼文化人が組織したニクソンを落選させるための運動体です。ジョンはデイヴィスやルービンらと頻繁に会っていました。ジョンが出演したコンサートをFBIは政治集会と見ていました。ジョンが同委員会に資金援助したことも当局は掴んでいました。

 委員会は共和党大会に焦点を当てて闘争スケジュールを組みましたから、FBIとしては、ジョンが共和党大会に向けて反ニクソン・キャンペーンを推進するものと判断しました。その結果としての国外退去命令です。

 ジョンとヨーコは尾行や電話盗聴に怯えながらも、不当な国外退去命令に敢然と抗議しました。72年3月16日、移民帰化局で審問が行われ、決定は5月まで持ち越されました。

 一方、ヨーコは前夫との間の娘の養育権をめぐってテキサスで訴訟中でした。前夫が雲隠れしたため、娘との再会が遅延していきました。訴訟はヨーコにとって必ずしも思わしくない進行でした。他方で、ヨーコがアメリカに居住するという条件で養育権が認められたため、この点では有利な条件となりました。ジョンが国外退去となれば、政府が家族を引き裂いたことになってしまうからです。

 他方、ジョンは政治集会への参加は控え、テレビのトークショーに出演して国外退去命令の不当性を訴えました。音楽メディアだけでなく、マスメディアも大きく報道しましたから、ジョンにとっての援軍となりました。リンゼイ・ニューヨーク市長も、ジョンを国外退去にすることは重大な不当行為だと表明しました。言論と集会の自由を奪うことになるからです。

 現代美術のアンディ・ウォーホル、映画監督のスタンリー・キューブリック、エリア・カザン、作家のジョン・アップダイク、作曲家のレナード・バーンスタイン、歌手のジョーン・バエズなどアーティストも次々と加わりました。ボブ・ディランは「ジョンとヨーコに正義を!」とメッセージを発しました。

 72年5月2日、裁判所への不服申し立てが通り、移民帰化局による審問を一時中止する命令が出ました。国外退去命令が家族を引き裂くことに加え、マリファナ所持の前科を有する他のミュージシャンは調査されず、退去命令は出ていないこと、ジョンへの退去命令が政治目的であることに注目が集まり、裁判手続きが長引きました。おかげでジョンとヨーコはアメリカ滞在を続けることができました。

 同じ5月2日に、フーヴァー長官が亡くなりました。30年以上もFBI長官の地位にあってアメリカを支配してきたフーヴァーの死はFBIと大統領に大きな打撃となりましたが、FBIはその後もジョンへの監視行動を続けました。
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