2017年02月03日 1463号

【ウチナーびけん/「不屈」】

 昨年は、米軍属の女性暴行殺害事件、高江オスプレイパッド工事強行、オスプレイ墜落と、県民の命蔑(ないがし)ろの年だった。米軍統治下時代の屈辱を思い起こす県民も多かったと思う。

 先日、那覇市若狭にある「不屈館」を訪れた。ここは米軍統治下時代、日本への祖国復帰と平和な沖縄を目指し闘った瀬長亀次郎(以下、カメジロー)と沖縄民衆の闘いを後世に伝える資料館だ。その日はちょうどTBSが昨年製作したカメジローを伝える映像が上映され、私も視聴した。映像には米軍の弾圧に屈せず闘うカメジローと民衆の姿があり、現在のオール沖縄の源流が描かれていた。

 当時、沖縄の共産党の前身である沖縄人民党員だったカメジローは、米軍に徹底抗戦する民衆にとってのカリスマ的存在だったことに加え、共産主義者として米軍のターゲットであった。

 米軍による土地の強制接収が激しかった1950年代、抵抗する住民の行動を米軍は「カメジローらが扇動した」と攻撃。人民党事件(54年)では、米軍からの退去命令に従わない同志をかくまったとして人民党員ら40人を逮捕。軍事裁判では弁護士も認められず約2年投獄され、獄中で十二指腸潰瘍を患う。カメジローがいた当時の沖縄刑務所の場所は、現在山城博治さんらがいる那覇拘置所辺りだ。

 出獄後、那覇市長になったカメジローに、米軍は補助金凍結、銀行預金封鎖、市議会での不信任案を裏で工作。最終的には公職に就けないよう布令を出し、あの手この手で追放する。銀行封鎖された市役所に市民が長蛇の列で納めに来たという話は有名だ。市民は弾圧されるほどに、カメジローを応援しようと団結を強めた。

 当時と現在が重なって見える。今は米軍に代わり日本政府が新基地を造り、翁長雄志(おながたけし)知事を攻撃し、抗議市民を弾圧し、山城博治さんらを不当逮捕・勾留している。しかし、弾圧がひどくなればなるほど県民の団結は強くなり、今年も県民は屈しない(=不屈)構えだ。

 不屈≠ニ言えばカメジローというイメージが強いが、カメジローは「沖縄民衆の闘いが不屈だから『不屈』が好きだ」そうだ。それは今も沖縄県民の魂に継がれている。

        (中山すず)

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