2017年03月10日 1468号

【元・日本テレビ・アナウンサー/小山田春樹さんと語るつどい/地域に根ざした取り組み重ね市政変革へ/“次は共謀罪の勉強会も”】

 2月26日京都市内で「元日本テレビ・アナウンサー 小山田春樹さんと語るつどい」が開かれた。

 安倍政権の戦争政策を地域から止め、市民の知る権利、平和と人権を守るために京都市政改革の活動を始めた小山田さんを支えようと、ZENKO京都が中心となった実行委員会が主催した。

原発訴訟が契機

 講演の最初に小山田さんは自己紹介を兼ねて「京都大好き!」をアピールした。

 神奈川県生まれの小山田さんが京都に転居したのは2011年。日本テレビ入社後、バラエティ番組や報道部記者として活躍していたが、過労による休職や追い出し部屋での屈辱の日々を経て、1986年に日本テレビを退職し、フリーアナウンサーの道を歩む。情報番組のリポーターやキャスターで順調な活動を続けていた時に、2011年の東日本大震災と福島原発事故が襲う。とくに東電の計画停電で仕事のキャンセルが相次ぐ中で、京都に転居することを決め、右京区に引っ越した。学生時代から「年をとったら京都で暮らそう」と心に誓っていただけに、決断は早かった。今では出先から帰ってきて「京都タワーを見るとほっとする」という。

 小山田さんはNHK昼のニュース項目を定期的にチェックしている。2月24日(金)を例示した。トップが「金正男氏殺害 VXガスを検出」、2番目が「相模原障害者殺害事件 男を起訴」。4番目が「森友学園 国有地売却問題」だ。「金氏殺害は2月13日のこと。それを連日トップで報道し続けているのは異常。その一方で、国有地問題では今日の衆院予算委で財務省理財局長が『記録を破棄した』と驚くべき答弁をした。ニュース性ではこちらの方がはるかに高い」と安倍政権による報道番組への圧力、情報操作を指摘。「マスメディアの使命は権力の暴走をチェックし、国民の知る権利に応えることだ」と訴えた。

 自民党改憲案の恐ろしさに触れ、「共謀罪など国民の基本的人権を制限する悪法を許してはならない」と語った小山田さんは、京都市政改革に立ち上がった経緯を述べた。「報道の自由の危機的状況に反撃するには、政治を変えていくしかない」との思いを強くし、自ら取材した京都原発賠償訴訟原告尋問などで知った福島からの自主避難者の深刻な状況に「京都市議会に無所属市民派の議員がいれば力になれる」と自ら立ち上がる決意を固めた。

上々の滑り出し

 人柄そのもののおだやかな語りの小山田さんの講演を受けた質疑と交流タイムもアットホームな雰囲気。小山田さんは本紙7面にコラム『あなたの知らないTVの世界』を連載している。参加者にはそのバックナンバーも資料として配布されていた。

 「最近のアナウンサーのしゃべりが速すぎるように思う。聞き取れない」の問いに「確かに速くなっていると思う。私はゆっくりとしゃべるようにしていた」と小山田さん。「日本を『にほん』と呼ぶか『にっぽん』と呼ぶかも、ややこしい。最近は『にっぽん』が多くなっている」「日本会議は『にっぽん』と読む。その方が強くて、軍国主義的らしい」などと井戸端会議風の交流も生まれた。

 政務活動費についての意見交流は実のあるものとなった。「各地で議員定数削減が話題になっているが、定数を削減するのではなく、高すぎる議員報酬を減らすことが民主主義的な改革。政務活動費が非課税なのもおかしい」との小山田さんのまとめは参加者全員のものとなった。

 つどいには、「家に入っていたチラシを見て来た」と近隣住民の参加もあった。第1回の企画としては上々の滑り出しだ。

 小山田さんは「要望や要求があればどしどし言ってください。また、市民の活動にかかわる危険な共謀罪の勉強会も始めたい」と地域にねざした取り組みへの抱負でつどいを締めくくった。



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