2017年03月17日 1469号

【教育学者 桜井智恵子さん講演会/子どもも大人も生きやすい社会へ/寄稿 フリースペースひまわり・小川裕子】

 2月26日、大阪市内で「子どもとともに生きよう 今、わたしたちにできること」と題して、大阪大谷大学教育学部教授・桜井智恵子さんの講演会を開催しました。

 昨年12月、教育機会確保法(不登校対策法)が国会で成立しました。この法律は子どもがつらいと感じる学校のあり方、競争教育を変えようとはしていません。一方、子どもを、学校に行ける子、行けない子に分けて個別に「支援」することを肯定する考え方は根強いです。このままだと不登校の子どもに限らずみんなしんどくなる―それを不登校の子どもの親以外の人とも共有して何ができるか一緒に考えたいと、子ども全交と共催で企画しました。

 ―学校で同調圧力を感じ、空気を読む子どもに、「きちんとしなさい、もっと頑張ろう」と言う教員。能力主義の教育の中で、自分はダメなんだと感じた子どもは、物言わぬ大人になっていく―。

 桜井さんは、子どもたちや学校の例を挙げながら、人間が生きるためではなく、グローバル企業が求める人材を作るための教育になっていること、それがものの言えない社会につながっていることを語ってくださいました。

 子どもの抱える様々な問題の責任を親に押し付ける家庭教育支援法案が国会提出されるより先に、その中身が各地で条例化されている状況には「緊張を強いられながら子育てしている親をさらに追いつめる」と指摘。新学習指導要領の中に幼稚園でも国歌に親しむという項目が入ったことも、「教育の場での国歌利用は、組織への同一化を強化し、基本的人権の確立に否定的に機能すると指摘されてきた」と、教育政策が物言わぬ市民を作る方向にはたらいていることがひしひしと感じられました。

 私は、「子どもが分けられると問題が見えなくされる」という言葉にはっとしました。だから分断させてはいけないのだと再認識。また、教育の中でICT(情報通信技術)導入や全国学力テストなど、「何であれ、誰が得をしているのかということをよく見て、やめることも必要」との話に、「全国学テなどやめて、学校の取り組みを減らせ」と市民が言わないといけないのだと思いました。

 質疑で、子ども食堂の話が出た時、桜井さんは「子どもの問題を具体的に改善して子ども食堂に来なくてもいいようにするか、地域を社会連帯経済に変えていく方向か。どちらかでないと、(子ども食堂は)政権を補完することになる」とアドバイス。市民の側に、社会の構造的な問題としてとらえる視点、社会を変えていく姿勢が欠かせないと改めて思いました。

 参加者の感想でも、「おかしいな、と思うことに物申していかなくては」「もっと現状について知って、周りにそれを伝えていくことが必要」などの声があり、ともに変えていく展望を感じます。

 桜井さんが最後に紹介された「完璧である必要はない、完璧でないほうが望ましい」という言葉のように、自己責任で自立を求めるのではなく、依存しあえる関係を作ることで、緊張をゆるめ、子どもも大人も生きやすい社会に近づけたいと思います。

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