2017年03月24日 1470号

【非国民がやってきた!(253)土人の時代(4)】

  「土人」の時代を理解するためには「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」を区別したうえで、改めて総合して把握する作業が必要です。

 ここで植民地主義の歴史を全体として描き出す余裕はありません。そうした研究が従来あまりないこともあります。ギリシアやローマの植民都市や十字軍を経て、大航海時代以来の西欧植民地主義に話がつながるのはいささか不自然です。

 帝国主義の歴史にしても、ローマ帝国や古代中国の諸王朝を並べ、ムガール帝国やオスマン帝国を垣間見た後に、近現代の帝国主義、つまりレーニンが分析対象とした帝国主義に話が飛ぶのが普通です。

 人種主義の歴史として優れたフレドリクソンの研究は、アメリカ奴隷制に始まる黒人差別、南アフリカのアパルトヘイト、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を世界史における主要な人種主義の形態として把握していますが、なぜこの3つを取り上げるのか、理論的な理由は示されていません。

 1960年代にアジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地が次々と独立した時代に反植民地闘争が一つのピークに達し、その後も新植民地主義との闘いは理論的にも実践的にも繰り広げられましたから、大いに遺産があるはずなのに、いま振り返ってみると植民地主義、帝国主義、人種主義の統一的な把握は非常に難しいのが現実です。

 ダーバン人種差別反対世界会議、ソ連東欧社会主義圏の崩壊に伴うグローバリゼーションの始まり、そして資本主義の勝利による世界の「再植民地化」を踏まえて、ポストコロニアリズム研究も盛んになりましたが、事例分析が中心というのが現状でしょう。

 ここでは植民地主義の歴史の理論的整理は断念して、「土人」の時代をつくり出してきた植民地主義の世界的傾向と日本的現象を類比的に理解するために、「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という単純な分類を試みます。

 「500年の植民地主義」とは、大航海時代以後の西欧諸国による「新世界」への到達(発見)の下での植民地主義のことです。バスコ・ダ・ガマ、コロン(コロンブス)、マゼランの名に代表される新航路の発見と新大陸への到達、そこにおける異なる人々との遭遇が植民地主義の基幹をなします。コロンの新大陸到達が1492年とされますが、この年は、ナスル朝滅亡に至るレコンキスタの完成、同時に「ユダヤ人問題」の始まりでもあるわけです。アジア・アフリカ・ラテンアメリカへの、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスの進出です。スペインとポルトガルが植民地分割の取引をしたトルデシリャス条約は1494年です。カリブ海やラテンアメリカへのコンキスタドールの歴史は良く知られます。アステカ、マヤ、インカを遺跡に変えた植民地支配です。同時に大航海、植民地、資本の原始的蓄積から、産業革命を経て西欧資本主義が世界を席巻していく過程です。カリブ海やラテンアメリカの人民は殺戮や伝染病によって滅亡させられます。そこに導入されたのが大西洋奴隷制、アフリカからの奴隷でした。他方、東南アジアではイギリスのインド支配、オランダのインドネシア支配(東インド会社)、フランスのインドシナ支配、スペインのフィリピン支配が続きます。

 「150年の植民地主義」とは、産業資本主義が発達を遂げ、植民地からの暴力的収奪だけではなく、資源の獲得と商品販売のための市場としての植民地をめぐる再分割時代の植民地主義です。レーニンが分析した帝国列強の世界分割戦争の時代です。大航海時代に並走する当時の国際法は、正当な目的と正当な手続きによる「正戦」だけを認めていました。しかし、帝国主義にとって正戦は理に適いません。目的や手続きを云々している間に、敵軍に占領されてしまえば元も子もなくなります。ここでは「無差別戦争観」が支配することになります。遅れてやってきたドイツやイタリアは植民地再分割を求めて躍動します。ロシアも主役として登場します。行き着いた先が第一次世界大戦という総力戦でした。植民地争奪戦が本国の経済を疲弊させ、共倒れをもたらす現実に気づかされることになります。

 「500年の植民地主義」による収奪と蓄積が資本主義の飛躍的発展を可能にしました。そうして形成・発展した資本主義が「150年の植民地主義」の競争に突入し、世界を破壊するとともに、自らを破壊していったのです。<文明>と自称した<野蛮>のたどり着いた先が第一次世界大戦(Great War)でした。
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