2017年03月31日 1471号

【教育勅語を擁護する連中/「良いことも書いている」は詭弁/本質は「お国のために死ね」】

 「森友学園の教育は良くないが、『教育勅語』自体は悪くない」。森友疑惑で旗色の悪い右派勢力はこのような言説をさかんに振りまいている。

 弁護士時代から森友学園と付き合いのある稲田朋美防衛相もそのひとりだ。いわく「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」「全く誤っているというのは違う」(3/8参院予算委)。

 歴史を無視したたわごととしか言いようがない。教育勅語は明治天皇の言葉(勅語)として戦前の教育現場に押しつけられた「侵略主義の思想的原点」(村上重良著『天皇制国家と宗教』)にほかならない。

 なるほど、一見して無害な「徳目」が並んではいるが、最も重要なのは〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉とそれに続く〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉という部分である。戦前の文部省はこれをこう訳した。「万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」

 要するに、いざ戦争になれば天皇のため国家のために命を投げ出すことが「臣民」(天皇の家来・配下としての民)の道だと説いているのである。どこから見ても軍国主義イデオロギーそのものではないか。

 そもそも、天皇が人びとに“これこれの生き方をせよ”と命じること自体が日本国憲法の国民主権原則に反している。ちなみに、教育勅語の原文に「道義国家を目指す」等のくだりはない。それは神社本庁などが戦後広めた「超訳」だ。

 教育勅語は1948年、国会決議により排除・失効が確認されている。このような軍国主義の遺物を安倍応援団たちはなぜ擁護するのか。前述の稲田はかつて、森友学園の教育を支持する文脈でこんな発言をしていた。「教育勅語は、天皇陛下が象徴するところの日本という国、民族全体のために命をかけるということだから(中略)教育勅語の精神は取り戻すべきなのではないかなと思ってるんです」(月刊誌「Will」2006年10月号)

 これが連中の本音である。戦争国家づくりのソフト面として、国家への滅私奉公を美徳とする思想を子どもたちに注入したい。だから、森友学園とワンセットで教育勅語の精神まで否定されては困るのである。

   *  *  *

 教育勅語は本来、天皇の名代としての校長が厳粛な儀式の場で「奉読」するものとされた。幼稚園児に「朕(天皇の一人称)オモウニ」と唱和させる森友スタイルは、ある意味滑稽だ。戦前なら「不敬罪」かもしれない。だが、籠池理事長を「知ったかぶり右翼」と笑うことはできない。

 安倍自民党は森友学園の洗脳教育を先進例として高く評価していた。その姿勢は今も変わりない。(O)
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