2017年05月05・12日 1476号

【「ショボ目ときどきギョロ目」(1)/墓標累々 糸の切れた凧の今】

 インターネットのページを開く。1月は1、2月は0だ。厚生労働省「東日本大震災に関する自殺者数」。2011年6月以降、警察庁が遺書などから判断して報告している統計だという。

 月別の上に並ぶ年別累計。

 10 13 23 15 19 7(福島県)/22 3 10 4 1 8(宮城県)/17 8 4 3 3 6(岩手県)

 「大震災」でくくられているが、福島県の、この異常な数字の列は一体何だ、と改めて思う。

 2011年3月、私は福島第1原発の爆発に追われて、カミさん、子猫のロックと2人1匹で南相馬市小高区から横浜市に避難。住宅供給公社5階の部屋で、一時錯乱の日々を過ごした。

 次々と明らかになる事故の実態もそうだが、打ちのめされたのは一つの記事だった。同じ市内の93歳のお婆さんが、「また避難するようになったら老人は足手まといになるから…私はお墓にひなんします」という遺書を残して、自死したというのだ。

 その前後には、相馬市の酪農家が牛舎の壁に「原発さえなければ」と書いて命を絶ち、飯舘村のお爺さんが100歳の誕生日の朝に首をつり、一時帰宅した川俣町の主婦が自宅の庭で焼身自殺をしていた。

 自民党の高市早苗政調会長が「原発事故で死んだ人はいない」とうそぶいた13年23人、翌14年15人…そして今年1月までに88人がこの道を選んでいる。

 震災関連死も今年3月には2139人に達し、地震・津波による死者1604人を大きく超えた。無念の墓標は累々と続く。

 2階の物干し場に出てみた。

 月が出ている。前の貸農園から、かすかに土の匂いが流れてくる。春なのだ。七度目の…。

 「暫定的なありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的を持って生きることができない。普通のありようの人間のように、未来を見据えて存在することはできないのだ」。ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の一節が浮かぶ。

 今村復興相の暴言、安倍首相の傲顔(造語)に、きりきり痛む胃袋を抱える糸の切れた凧。漂う難民74歳、今夜はショボ目だ。

 (南相馬市の原発難民 村田弘(ひろむ))

 ※筆者は、福島原発かながわ訴訟の原告団長/今号から本コラムがスタートします。タイトルは「落ち込んだり怒り狂ったり」の意。

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