2017年05月19日 1477号

【福島原発かながわ訴訟/旧保安院・名倉審査官を証人尋問/津波対策の不備を開き直る】

 福島原発事故当時、原子力安全・保安院で耐震安全審査室安全審査官だった名倉繁樹の証人尋問が4月25日、横浜地裁で行われた。

 名倉は、津波対策をとらなかった過失責任をなんとしても逃れようと、津波の襲来を認識していることは認めながら、福島原発の原子炉や電源があった10bを超える波高予測はできなかった、ととことん拒否。津波の認識が即具体的な対策につながらなかった理由として、10b超えを予測する「知見の未成熟」を上げ、想定外だと詭弁を弄(ろう)した。

 名倉は2009年8月28日の打ち合わせで東電に対し、佐竹論文(産業技術総合研究所の佐竹健治氏らが869年の貞観(★じょうがん)地震から波源モデルを作成)に基づき津波の高さを試算するよう求めている。東電が同年9月7日に、8b台の試算結果を出したことに「(海水ポンプが置かれた)4bの敷地は超えるが、(原子炉・電源のある)10bの敷地は超えないと思った」と述べた。

 2010年3月23日の保安院耐震安全審査室・小林勝室長から名倉宛てのメールでは「簡単な計算でも敷地を超える恐れがあるので防潮堤など対策の必要性あり」と指摘されている。国はこの件に関し、そこで言う敷地は4b高の話で、10b高の敷地のことではない、と弁明している。4bは想定していたが10b超えは想定外、と口裏を合わせるものだ。

 津波襲来は認めながら防潮堤の対策をとらなかったわけについて名倉は「4bの敷地は埋立地で地盤強度の確保、スペースの確保から見て費用対効果から防潮堤設置という発想は生まれなかった」と屁理屈を述べている。

裁判官も問いただす

 裁判官からも「8bは認識していただろうが、(遡上を考慮し)10bの高さが(来る可能性はあるがそれでも)大丈夫だと考えていたのか」と問いただされ、「(津波の到達点が8b)地点の高さと思っていた」と都合のいい解釈をしていたことが露呈した。

 名倉は2002年に公表された地震調査研究推進本部(推本)の長期評価についても、「これが耐震バックチェックルールの『最新の知見』と言えるか。専門家すら特段意識することもなく、これに基づく対策の必要性は感じなかった」と開き直っている。「長期評価に基づけば15bの試算も当時できたのではないか」との追及にも「知見の未成熟」との見解を繰り返した。そればかりか、「東電が推本見解に基づく対策を講じていないからといって、それだけで福島原発の安全性に問題があるとは言えない」と東電をかばう始末だ。

 裁判後の集会で林裕介弁護士は「名倉は地震や津波の知見は得ていたのに何も動かなかった理由を合理的に説明できなかった」とコメントした。

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