2017年05月26日 1478号

【ZENKO沖縄参加団/5・14県民大会にも参加/軍隊は住民を守らない℃vい新たに】

 毎月沖縄・辺野古などへの連帯訪問を続けるZENKO沖縄参加団。5月12〜14日、現地を訪れた京都の小山田春樹さんから報告が寄せられた。

 私が初めて沖縄に関心を持ったのは、映画『沖縄』(主演佐々木愛)を鑑賞した1970年、高校2年の時だ。あれから47年。沖縄は今どうなっているのだろうか。

 ZENKO沖縄メンバーの案内で、戦跡巡り、高江ヘリパッド建設の現場、名護のオスプレイ墜落事故現場、辺野古キャンプ・シュワブゲート、伊江島など、密度の濃い3日間が始まった。

 美しい沖縄の海と爽やかな風が心地よい。だが、読谷村の恨(ハン)の碑、チビチリガマは、侵略戦争の残虐性を無言で語りかけてくる。強制連行された朝鮮の人びとの言語を絶する苦痛、悔しさ、日本帝国主義への憎しみが伝わってくる。目隠しをされ連れ去られようとする息子の脚にすがりつくオモニ(母親)の姿が痛ましい。暗いガマ(自然壕)の中で集団自決を強いられた沖縄島民の苦痛を想い胸が締め付けられる。正しい戦争など無い。軍隊は決して住民を守らない。この真理を厳然たる歴史の事実が示している。

 高江のヘリパッド工事現場へ向かう。山原(やんばる)の森の豊かな自然に触れ心が癒やされる。貴重な生態系は何としても守らねばならないとの思いが益々強くなった。

 昨年12月オスプレイが墜落した現場を臨む浜に行く。美しい名護の海が広がり、小さな漁船が数隻いるのどかな光景だ。墜落事故を起こし、謝罪するどころか威張った米軍当局者。現場検証もできなかった日本の警察。施政権返還から45年経った今も、米軍による支配は続いている。

 13日は、早朝から辺野古のゲート前集会に参加。工事を非暴力で阻止する座り込みの闘いが続く最前線だ。強い雨の中、沖縄各地、全国から基地建設反対の仲間が集まり、私も連帯あいさつをした。

 午後フェリーで伊江島に渡った。1945年4月、伊江島の戦闘で住民の3分の1にあたる1500人が命を奪われた悲劇を忘れてはならない。反戦平和資料館を見学し、わびあいの里理事長の謝花(じゃはな)悦子さんと交流した。

 14日、名護市瀬嵩(せだけ)海岸での「平和とくらしを守る県民大会」に参加。稲嶺進名護市長は「沖縄、名護は孤立していない。これからも新しい基地は絶対に作らせないことを全国の仲間とともに確認したい」と力強くあいさつした。

 平和運動に生涯を捧げた伊江島・阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)の言葉、「平和の最大の敵は無関心である」「戦争の最大の友も無関心である」が強く印象に残った今回の訪問であった。

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