2017年06月02日 1479号

【第20回夢あ〜るまつり開く/沖縄の写真家 牧志治さんを囲み/「大浦湾を守れ」の声 地域から】

 東京南部で「沖縄・読谷村(よみたんそん)の平和な地域づくりに学び、子どもたちが未来に希望を持って生きていける社会を」と重ねられてきた「夢あ〜るまつり」。20回の節目となる今年は、沖縄から写真家の牧志治さんを迎え、辺野古・大浦湾の豊かな自然を守りぬかなければと思いを新たにしあった。

 第20回夢あ〜るまつりは5月13〜14日、大田区池上会館の展示ホールを舞台に催された(主催―同実行委員会)。2日間の屋内での開催は初めてのこと。実行委員の一人、フェアコープの佐々木透さんは「20回を記念して、飲んで歌ってで終わるのではなく、沖縄の情勢を見すえ、ゲストの話をじっくり聞き、現状を学び、基地建設を止めるために何ができるか一緒に考えていく場にしたかった」と言う。

 ホールに入ってまず目を引くのは、昨年12月名護市安部(あぶ)の海岸に墜落したオスプレイの残骸を水中からとらえた18点の写真。反対側のパネルには、辺野古・大浦湾の貴重な動植物の写真20数点が掲示されている。いずれも牧志治さんが撮影したものだ。

 牧志さんは1950年、沖縄・コザの生まれ。69年から80年まで本土で暮らした後、沖縄に帰り、スキューバダイビングの指導員として活動した。現在は辺野古・大浦湾の自然を撮影するかたわら、ヘリ基地反対協議会のダイビングチーム・レインボー代表、抗議船の船長を務める。

写真は全国に配信

 海底に散乱するオスプレイの機体を撮影したのは、墜落から約12時間後の12月14日朝。ボートで近づき、潜水して13分間に117回、シャッターを押した。「私は無神論者だが、神様が『お前、撮れ』と言っているようだった。スクープをとろうと考えたのではない。サンゴに被害がないかどうか調べたかった」と振り返る。写真は共同通信を通じて、「県民の命や豊かな自然をこれ以上ないがしろにしてほしくない」という牧志さんの言葉とともに全国に配信された。

 大浦湾は生物多様性の海。約5400種もの生き物がすみ、絶滅危惧種は固有種を含めて262種に上る。牧志さんは「この海をこれからもずっと生き物たちが安心して暮らせる海にしたい。辺野古・大浦湾は子や孫にいつまでも伝え残していくべき海だ」と力を込める。「SDCC(ジュゴン保護キャンペーンセンター)のツアーなどで沖縄の状況を体で知る機会をつくってほしい。自分の目で見て体で感じて、沖縄の人たちは自分たちの生活の問題だから闘っているんだということを伝えてほしい。ここを潰すことは日本の財産を失ってしまうことだと語ってほしい」と呼びかけた。

獅子舞やライブも

 ミニステージでは、子ども全国交歓会のエイサーや獅子舞、照屋三線倶楽部の唄と三線、琉球・八重山の島唄や民謡をレパートリーとする女性デュオ「Milk[弥勒]」のライブなどが繰り広げられる。途中、牧志さんの友人でもあるパンク音楽家、西村茂樹さんが飛び入り参加し、「心満たせ沖縄に/夢よ結べ沖縄に/沖縄かがやけ/沖縄かがやけ」と『沖縄を返せ』の替え歌『沖縄かがやけ』を歌い上げる場面もあった。

 20年の歴史を刻んできた夢あ〜るまつり。ブース出展団体にも多彩な顔ぶれが並ぶ。「子ども食堂夢あ〜る」は大田区内で昨年10月から月2回、ひとりで夕食をとる子どもたちに食事を提供している。代表の林健二さんは「子どもの6人に1人が貧困状態。格差が広がり、貧困が連鎖している。お母さんが夜いない、帰りが遅いという子どもも多い。困っている子に子ども食堂の存在を知らせ、ぜひ食べに来てもらいたい」と話す。

 2日間の来場者は約270人。アンケートには「大浦湾を守るため何かしなくてはと思いを新たにした」「安倍政権はひどい。地方自治・人権無視です」「今以上に基地建設反対の輪を広げたい」といった言葉が書き込まれた。「人の手で取り戻せるものと、取り戻せないものがある。沖縄を二度捨ててはいけないと思った」と感想を寄せた参加者もいる。

 地域でつちかってきたネットワークを生かし、沖縄と心一つにつながる存在感ある共同の取り組みをつくる。20回目の夢あ〜るまつりはその大きな足がかりを築いた。





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