2017年06月02日 1479号

【ウチナーびけん 第95回 沖縄戦犠牲者遺骨収集から考える】

 5月20日、沖縄恨(ハン)之碑の会総会が開かれた。沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者の姿を刻み読谷村に建立された恨之碑。会では昨年、元朝鮮人軍夫の姜仁昌(カンインチャン)さんの証言集を発行した。強制連行された朝鮮人軍夫の記録を続け伝えることが歴史の真実を学び、アジアの平和を創る上でも重要な運動の一つとなっている。

 総会では、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー(ガマ<自然壕>を掘る人)」代表の具志堅隆松さんに遺骨収集の最新情勢を講演いただいた。

 沖縄戦の犠牲者は、1944年8月、学童疎開船対馬丸の子ども達に始まり、翌年3月末には米軍が慶良間(★けらま)諸島から上陸し、住民の集団強制死が起きる。激戦地沖縄島南部では、皇軍(日本軍)による住民のガマ追い出しをはじめおびただしい犠牲が出た。学徒、強制連行された朝鮮人「慰安婦」、軍夫など戦死者の数は、沖縄戦全体の中でも南部が大きな割合を占める。米軍の収容所でも高齢者や子ども達が犠牲になり、集団虐待死が起きていた。

 慶良間諸島・阿嘉島の海岸で皇軍兵により処刑された朝鮮人軍夫たちの遺骨は、戦後阿嘉島の人達の手により掘り出され座間味島を経由して沖縄島に送られたようで、埋葬されていた場所がほぼわかっている。埋葬の痕跡など確認が必要だという。

 戦後、収容所から帰ってきた住民が生活を始めるには、家を建て直したり、食料を得るために畑を耕そうにもミイラ化した戦死者の遺体がそこら中に横たわり遺骨などを片付けなければならなかった。生活が落ち着いてから、普段足を踏み入れない山中に入り、復帰後、県外の遺族会や戦友会などが遺骨収集した。現在は、まだ調査されていないガマや深い岩の割れ目に降りて探していると具志堅さんは説明した。

 調査でボタンや認識票などが見つかっても、厚労省は「名簿がない」との対応だ。身元不明遺骨を家族の元へ返す作業にはDNA鑑定が必要になっている。2011年、那覇市真嘉比で発掘された遺骨について、沖縄で初めてDNA鑑定で身元が判明した。少しずつ作業は進むが、今も700体を超える遺骨が火葬されずに保管されている。ガマフヤーは、国籍を超えて申請を募り7月にも厚労省に遺骨のDNA鑑定集団申請を行う。

 来年3月には沖縄で強制動員真相究明全国研究集会が行われる。「慰安婦」や朝鮮人軍夫など沖縄から発信することは多くある。沖縄戦が今の辺野古への基地建設阻止の原動力となっている分、頑張って準備していきたい。     (那覇和子)
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