2017年07月21日 1486号

【非国民がやってきた!(261) 土人の時代(12)】

 大航海時代に始まる「500年の植民地主義」は、天体観測、造船術、航海術の発達による海外渡航、遠征による世界分割の時代です。西欧諸国がアジア、アフリカ、ラテンアメリカに侵出し、植民地化していきました。中国からも鄭和が東南アジアからインド洋、そしてアフリカに到達しています。極東の日本もアイヌモシリへ侵出し、アイヌ民族との戦争に突入しました。南方では琉球列島を経て、さらにシャム(タイ)に至るまでの渡航、交易が実現しています。

 明治維新の近代化に始まる「150年の植民地主義」は、近代国民国家の形成期です。近代国民国家は、フランス革命に代表される近代市民革命やアメリカ独立を経て、自由、平等、権利の体系を構築し、民主主義と立憲主義を基軸とした西欧国家モデルを提示しました。西欧近代国家は、内部では自由と民主主義という普遍的価値を掲げましたが、外部では植民地支配、奴隷制、資源の略奪を常態としました。一方では市民国家の形成期ですが、他方では資本主義体制の形成期であり、同時に帝国主義の伸長が始まります。つまり、国民国家とは対外的な植民地支配の上に建設された植民地主義国家だった面があります。

 植民地支配が、植民者側による被植民者側に対する全面的徹底的な差別と非人間化につながることは言うまでもありません。植民地支配における「土人化(差別と非人間化)」の諸相は、すでに2001年9月のダーバン(南アフリカ)における人種差別反対世界会議の成果文書である「ダーバン宣言」に詳しく描かれています。

 植民地支配における「土人化」は、特定の人物や特定の側面に対してではなく、被植民地、被植民者側に対して総合的全面的に作動します。それは例えば植民地分割に顕著に現れます。植民者側の都合で被植民地が恣意的に分割され、分断されます。中東諸国の例が有名ですが、国境線が恣意的に引かれます。これにより民族が分割され、分断され、時に消滅させられます。

 植民地分割の具体例を見てみましょう。第1に、21世紀最初の独立国となった東ティモールです。ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地とされましたが、オランダが進出して両国間の争奪戦となりました。結局、1859年、ティモールは分割され、東がポルトガル、西がオランダの領土となりました。分割は1904年の条約により確定しました。その後、植民地支配に対する抵抗としての蜂起、第2次大戦時における日本軍による占領、ポルトガルによる再支配、ポルトガル民主革命後の独立運動、インドネシアによる占領を経て、2002年に東ティモールは独立しました。

 東ティモール人の大半はメラネシア人です。この点は西ティモールも変わりません。少数の華僑、インド系住民、ハーフカスト(ポルトガル人とメラネシア人の子孫)がいます。

 言語(公用語)はテトゥン語とポルトガル語です。実際にはパプア諸語とオーストロネシア語(テトゥン語、マンバイ語)が用いられているということです。ポルトガル支配期にはポルトガル語教育、インドネシア支配期にはインドネシア語教育がなされたため、世代ごとに使用言語に差異があり、コミュニケーション・ギャップを抱えていると言います。

 宗教は99%がキリスト教です。インドネシアはイスラム教が優勢を占めていますので、この地域の中で東ティモールだけがキリスト教です。東アジアではフィリピンと東ティモールです。

 このように植民地支配によって小さなティモール島の東と西とで言語や宗教に大きな差異が生じ、文化的にも異なる面が生じています。ポルトガルとオランダが恣意的に引いた国境線の東と西とで、同じメラネシア系住民だったティモール人の文化的民族的性格が変容させられたと言えるでしょう。植民地主義による植民地分割は世界のいたるところで猛威を奮いました。
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