2017年07月28日 1487号

【未来への責任(229)沖縄戦遺骨DNA鑑定へ(上)】

 6月23日沖縄慰霊の日、摩文仁(まぶに)平和公園は梅雨明けの日差しが眩しくきつい。72年前沖縄での組織的戦闘が終わった日。シャトルバスから次々慰霊に訪れる県民遺族の皆さん。私は沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表や会員の皆さんとともに5人でDNA鑑定集団申請を呼びかけるビラを配った。集団申請書も印刷しておいた。行動は2班に分かれ魂魄(こんぱく)の塔でも5人で行った。

 当日朝刊の『琉球新報』を掲げながらビラを受け取ってもらう。『琉球新報』は1面トップに「遺骨DNA50人申請へ ガマフヤー、遺族ら集会」と大きな見出しが躍っている。「今日の新聞に載っています。ご遺骨をお家に帰ってもらいましょう」と大きな声で訴えビラを配布した。

 昨日の集会にも来ていた九州朝日放送テレビクルーも私の持つ新聞を撮りながら行動を収録している。遺族の皆さんから「見たよ」「知っている、これがそうか」と次々声がかかる。「今書くよ」と申請書を書く人もいる。一家5人が死んで1人分書いて残り何枚か用紙をくれという人もいる。何人か申請を書いていただいたが「どこで亡くなったかわからない」と口々におっしゃっていた。皆さんビラはよく受け取ってくれた。慰霊式典参加で沖縄に来ている安倍首相も今日の『琉球新報』はきっと見ているだろうと思った。

 1500枚のビラはすべて配布し、追加500枚を式典帰りの人にまた配布。具志堅さんらと木陰に座って少し休んでいると、高齢の遺族の方から何度も声がかかる。「具志堅さんですね。ありがとう」「いつも頑張っているね」と。県民は具志堅さんの取り組みを知っていて、顔まで覚えている。汗でくちゃくちゃになったチラシを欲しいと言われ2千枚最後の1枚を渡し、摩文仁平和公園での行動は終了した。皆さん、72年目の6・23沖縄摩文仁の太陽に長時間あたり、顔も手も真っ赤になっていた。

 数か月前の3月31日、厚労省は75の歯のある遺骨と300名の軍人遺族の鑑定をしたが、該当者ゼロの結果だったと発表した。ガマフヤーは「3・31厚労省発表 沖縄戦遺骨『身元特定無し』の結果をうけて改善要請の声明」を衆参厚労委員全員に配布した。「鑑定呼びかけが軍人遺族にとどまり沖縄一般県民への呼びかけが行われなかった。厚労省は沖縄県の責任にするが、この事業は『国の責務』で行われる事業であること考えれば、国の責任は重大である。…厚労省は、不確かな戦死記録に固執せず、沖縄戦の戦死者全体と遺族全体を照合するやり方に方針変更すべきだ。今回の『身元確認ゼロ』の結果を見るならば、遺族への呼びかけのやり方の根本的見直しが必要」という内容だ。

 4月20日参議院厚労委員会で、川田龍平議員の遺骨問題での質疑が行われた。鑑定する遺族が少なすぎるという指摘に対し、塩崎厚労大臣は「今年度は…広報を広く通じて呼びかけるということでご遺族の側からのDNA鑑定の申請を募る」ことを表明した。

(「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会 上田慶司)

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS