2017年09月22日 1494号

【非国民がやってきた!(265) 土人の時代(16)】

 植民地主義は一つのまとまった思想ではありません。植民地主義は、植民地にする側(あるいはそれと同様の優越的立場にある側)と、植民地にされる側(あるいはそれと同様の劣位にあるとされる側)との関係性の中で、具体的な内容が定まります。

 植民地主義は一つのまとまったイデオロギーではありません。植民地主義は、いかなる場合にも、優位に立っている(と考える)側に都合の良い論理と結論を引き出します。相手を貶めることで自らの優位を確保することが肝要なのであって、その余のことは二の次になります。

 植民地主義者が<文明>の徒でいられるのは、<野蛮>と表象される土人が存在する限りにおいてのことです。

 植民地主義者にとって領土とは、日本政府的に言えば「わが国固有の領土」と「新たに獲得した領土」の双方を含んだ概念となります。しかし、「わが国固有の領土」などというのは国際法上の概念ではありません。

 国際法上、領土の権限を主張する理由(権原)は、譲渡(売買、交換、割譲)、征服、併合、先占(発見)、添付、時効などが挙げられます。

 これらの理由では、パリやナントやオルレアンがフランスの領土であることを説明できません。カーブルやジャララバードがアフガニスタンの領土であることも説明できません。そのような説明は不要だからです。

 「わが国固有の領土」は、日本政府が捏造した特異な概念にすぎません。竹島や尖閣諸島のように現に「領土紛争」のある場合に「わが国固有の領土」などと主張しても、相手も同じことを言えば良いだけのことで、無意味な概念です。奈良や京都について「わが国固有の領土」などと言いません。その必要がないからです。

 ただ、日本政府が「わが国固有の領土」と言い続けてきたのに対抗して、中国政府も同じ言葉を使うようになりましたから、やがて「わが国固有の領土」という概念も慣習国際法上の概念と認められる可能性がまったくないわけではありません。

 さて、ここにも<文明と野蛮>の区分が不可避的にまとわりつくことになります。「新たに獲得した領土」である植民地は野蛮の地であり、「わが国固有の領土」ではありません。それゆえ植民地は使用・収益・処分の対象とすることができます。つまり、商品と同様に売ったり、贈ったりすることができるのです。

 土地家屋などの不動産売買では土地家屋だけが対象であって、居住者を含みません。ところが、領土割譲の場合、そこに居住する人民も丸ごと対象とされることがありうる点が、通常の商品と違うところです。土人と見做した人民を売買・贈与することは不思議なことではありません。

 領土の譲渡(売買、交換、割譲)は一定の手続き的な合意のもとに実行されてきました。アラスカがアメリカとロシアの間で売買されたことは有名です。千島・樺太は交換条約に基づいて交換されました。下関条約に基づいて台湾の割譲が行われました。

 日本政府がアイヌモシリを分割し、交換したのは、植民地を肯定した時代の国際法に従った手続きによるものです。「文明開化」と「富国強兵」の日本政府はその後、領土の譲渡を目的として追及していきました。

 それゆえ、植民地分割は北のアイヌモシリだけでなく、南の琉球/沖縄でも行われました。日本は1879年、琉球王国を潰して沖縄県を設置しました。これを「琉球処分」と呼びましたが、領土の権原としては併合に当たります。

 併合の例としては、2014年、ロシアがウクライナ領だったクリミアを編入(併合)しました。国際社会の評価は分かれています。西側諸国の多くは国際法違反だとして承認していません。しかし、住民投票、独立宣言、編入条約の締結を経て行われたので合法だと見る余地がないわけではありません。そうでなければクリミアの住民には自己決定権がないことになります。

 1910年の韓国併合と同様に、日本とは別の独立国家であった琉球王国を丸ごと併合しました。ところがその間、日本政府は琉球の分割を検討していました。 
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