2017年09月29日 1495号

【未来への責任(233)排外意識に貫かれた東京地裁判決】

 9月13日、東京地裁は朝鮮学校無償化裁判で朝鮮学校生徒の請求を棄却する判決を出した。1日の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典に小池百合子都知事が追悼文を送らなかったことに続くこの「惨虐」。「九月、東京の路上で」(加藤直樹著)、このような“事件”が続けて2件起きたことを在日の人たちは決して忘れないだろう。

 東京地裁の田中一彦裁判長は、政府が高校無償化から朝鮮学校生徒のみを排除したことに関して「除外は不合理とはいえない」と述べ、「適法」と判断した。本当にそうか。

 この国の高校生の総数は約330万人。一方、朝鮮中高級学校生徒(高校生)は2千人に満たない。0・06%だ。何故、この子どもたちだけが高校無償化から排除されるのか。

 高等学校等就学支援金の支給に関する法律(無償化法)は「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与すること」(第1条)を目的とする。第3条は「高等学校等に在学する生徒又は学生で日本国内に住所を有する者」に受給資格を認めている。ここに国籍条項はない。

 文科省でこの法案策定に関わった前川喜平・前事務次官は「当初から朝鮮学校を対象にすることは大臣以下の共通認識であった」(9月13日付神奈川新聞)と述べている。適用することこそ法の趣旨にかなっており、政府の対応こそ違法なのだ。

 「コンクリートから人へ」をマニフェストに掲げた民主党政権が目玉とした政策がこの高校無償化法であった。しかし、当の民主党政権も、拉致被害者家族会の反対、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件などを理由に同法の朝鮮学校への適用を先送りした。そして、2012年12月に政権に返り咲いた安倍政権は、その政権の第一の仕事として高校無償化法から朝鮮学校を排除するため同法施行に係る文科省令を変更した(朝鮮学校への適用の根拠となる規定を削除)。下村博文・文科相(当時)が、拉致問題の進展がないこと等を挙げて無償化を適用しないと表明したことを受けての措置であった。

 しかし、拉致問題や延坪島砲撃は朝鮮学校生徒に何の関係もなく、受給対象者が責任を問われる問題ではない。北朝鮮敵視、制裁のために在日の朝鮮学校生徒に「多大の損害と苦痛」を押しつけることは法の趣旨、人道に反する。これはもはや犯罪だ。

 東京地裁はその犯罪性を薄めるために、朝鮮総連が学校と結び無償化支援金を不適切に処理するかもしれないから「除外は適当」と言う。その主張には何の証拠もない。公安調査庁の「報告」や産経新聞のヨタ記事だけを根拠とするもので、差別と排外意識が判決文に貫かれている。

 「1910年から今日まで、この国は何も変わっていないのだと分かった」。13日夜の判決報告集会で朝鮮学校生徒保護者の一人はこう言った。敗戦、植民地解放から72年が過ぎたが、この国の権力はいまだに植民地主義を清算していない。

(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク 矢野秀喜)

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