2017年11月17日 1502号

【命守らぬ軍拡と避難訓練 軍隊は市民を殺す 基地・軍備撤廃こそ対案だ】

 衆院選で安倍政権は、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「ミサイルの脅威」で不安をあおり、「国難」を強調して集票に利用した。キャッチコピーは「この国を守り抜く」。しかし、その実態は、大軍拡を進め、「国家」は守っても市民の命と安全は危険にさらすものだ。憲法と国際法を遵守した軍民分離の徹底による基地撤去、軍隊のない国の実現でこそ市民の安全が守られることを訴えなければならない。

ばかげた避難訓練

 安倍が行おうとしていることは何か。ひとつは、来年度軍事予算で弾道ミサイル防衛(BMD)システムや南西諸島防衛強化など過去最大5兆2551億円という大軍拡をはかること。もうひとつは、9月末までに全国の15自治体で実施されたミサイル避難訓練。結局はこの二つだ。

 安倍政権の軍拡と避難訓練で私たちの命を守ることができるのだろうか。

 朝鮮のミサイル攻撃に備えるとして導入しようとしているBMDや、従来の地対空誘導弾PAC3は、軍事専門家の多くが「迎撃は技術的に困難」と指摘する代物だ。日本に向けたミサイル攻撃からの防御は実際は不可能であり、大軍拡の口実にすぎない。

 「自衛隊を増強することで朝鮮への抑止力に」という論もある。しかし、それには常に相手を上回る戦力が必要で、際限のない軍拡になり、核兵器の保有やミサイル発射基地の先制攻撃論に行き着く。現に自民党は3月末、弾道ミサイル対処として「敵基地攻撃能力保有」を求める提言を安倍首相に提出した。これは「抑止」どころか、民衆を犠牲にする戦争国家そのものだ。

 ミサイル避難訓練は、全国瞬時警報システム(Jアラート)のサイレンに合わせて、近くの公民館等に避難し、建物がない場合路上などで頭を隠してしゃがむというもの。「ミサイル発射から8分間の勝負」と政府は危機感をあおるが、こんなものでミサイルから身を守れるはずがないことは誰にでもわかる。

 もし仮に朝鮮が日本へミサイル攻撃をするとすれば、まず在日米軍基地、原発立地地域や大都市部が標的となる。しかし、その地域で避難訓練はされていない。戦時に政府の指示に従う従順な市民を作り出すのが真の狙いだからだ。

 ミサイル防衛等の軍拡も避難訓練も、市民を守れないことは明らかだ。

民間人殺した沖縄戦

 そもそも軍隊は市民を守らない。守らないどころか「非常時」には市民を殺す。国家が自らを形成し、その支配を正当化し維持していくための暴力装置として軍隊が存在する。軍隊はその成り立ちから、市民ではなく国家という統治機構を守るために存在する。

 明治政府は国家権力を握るために軍隊をつくり、西南戦争では都合の悪い国民を「敵」「賊軍」として殺した。軍が住民を動員し、果ては死に追いやり、12万人の県民犠牲者のうち民間人が9万4千人を占めた沖縄戦は、軍隊は住民を守らないという、その本質をはっきり示している。

 政府は今、沖縄県民の反対意思を無視して辺野古新基地建設を強行し、宮古島など南西諸島には集落に隣接してミサイル基地建設を推進する。市民の命と生活が顧みられることはない。民衆にとって軍隊は本来必要ない。

国際法は軍民分離

 では、どうするのか。対話による平和的解決でミサイルを撃たせない外交が何より前提となる。同時に、国際法が求める軍民分離原則を中心に市民の保護を最優先にする社会をめざすことが必要だ。

 日本も批准している国際人道法、ジュネーブ条約追加議定書の軍民分離原則(第48条)は、住民保護のために民用物と軍事施設を区別することを定めている。ほかに、文民への攻撃禁止と無差別攻撃の禁止(第51条)文化財・礼拝所の保護(第53条)、住民の生存に必要なものの保護(第54条)、自然環境の保護(第55条)、人口密集地域の軍事施設設置禁止(第58条)など数多くの住民保護の規定がある。国際法上、軍事施設以外は攻撃してはならないのである。

 軍民分離を徹底すれば、万が一の事態でも市民の命と財産を守ることが可能となるばかりか、基地の移転・撤去へとつながる。東京・市ヶ谷にある防衛省や各地の基地は国際法違反であり、集落近くの新基地建設などもってのほかだ。日本政府にはこの規定を実施する義務がある。さらに、日本に軍隊と軍事基地がなければ相手国は国際法上、攻撃することはできなくなる。

 国際法と粘り強い対話外交に基づいた非核・非武装こそ真に市民を守る道だ。それは、改憲を許さず、とりわけ憲法9条2項の戦力不保持を実現、徹底することに他ならない。「無防備こそ最大の防御。軍を持たないことで強くなる」(アリアス元コスタリカ大統領)。これが私たちの根本的対案である。

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