2017年11月17日 1502号

【非国民がやってきた!(269) 土人の時代(20)】

 これまで日本による周辺地域への膨張と侵略の歴史を垣間見たうえで、日本が植民地をいかに分割してきたかを見てきました。植民地は交換や賃貸や分割の対象であって、処分の対象です。「琉球処分」という言葉は、まさに植民地主義者の思想が明瞭に刻まれた言葉でした。

 「処分」とは、民法的に言えば、所有権の内容としての使用・収益・処分の権利に対応します。自分の所有物は自由に使うことができます。不要になれば廃棄処分しても構いません。日本にとっての沖縄は文字通り処分の対象です。何度も切り捨ててきたのはこのためです。

 それでは、処分の対象である植民地に居住する植民地住民を、植民地主義者はどのように見て、どのように扱ってきたのでしょうか。

 答えは明瞭です。日本が琉球分割を考えた時、当然のことながら植民地人民である琉球人も同時に分割され、一部は処分されることになっていたのです。土地建物や地下資源と同様に、植民地の付属物に過ぎないからです。琉球人も法形式上はいちおう大日本帝国の臣民ですが、実際には貸与、贈与、分割、処分の対象だったのです。もともと「臣民」自体が主体性を奪われていますが、それでも保護の対象でした。

 それゆえ臣民の中に、保護されるべき臣民と処分できる臣民がいたことがわかります。一級臣民と二級臣民が区別されます。二級臣民の別名が「土人」ということになります。

 アイヌや琉球人が「土人」だったことをもっとも鮮明に表現するのが人類館事件です。1903年、大阪・天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において32名の諸民族が展示されたのです。

 人類館事件はとくに沖縄の人々がこれに怒り、記憶にとどめてきました。沖縄のミュージシャンである佐渡山豊は「人類館事件の歌」をつくりました(Youtubeで聞くことができますので探してください)。歌の冒頭の1節はこうして始まります。

 これは今からちょうど百年前のこと

 この国であった本当の話だ

 日清戦争や日露戦争があって

 皇国ニッポン帝国主義バリバリの頃のこと

 そして歌の5節は次の通りです。

 そう数百万人がその小屋で見たもの

 モノでなく動物でなく写真でなく人形でもなかった

 その陳列された出し物に民衆は誰もが目を疑った

 なんとそこには生身のニンゲンが展示されていたんだ

 陳列されたのは、琉球人、アイヌ民族、朝鮮人、台湾人、マレー人、インド人などです。「人類館」とは「人間動物園」でした。

 これは日本の独創ではありません。文明国日本が西欧の植民地国家に学んだものです。1889年にパリで開催された万国博覧会で同じことが行われ、同様の展示が欧州各国で開催されたのです。西欧文明諸国がアジア・アフリカ・ラテンアメリカの「野蛮人」を植民地化し、文明化するという植民地主義の帰結です。

 パリ万博では日本人も展示されたと言いますから、近代化過程において日本人は差別される側から必死になって差別する側に駆け上がって行ったことがわかります。

 パリから学んで日本に導入したのは人類学者の坪井正五郎(帝国大学理科大学教授)だったと言います(この名前は後に再び登場するので記憶にとどめてください)。

 500年の植民地主義と150年の植民地主義が見事に融合して、他者を見下す「文明という名の野蛮」を演じます。

 これはたかだか百年前に この国であった本当の話だ

 人類館事件という名の世にも恐ろしいノンフィクションなのだ

 だが今日も何処かで同じようなことが起きていないとも言い切れないし

 歴史は繰り返されるものだといわれるでしょう

<参考文献・CD>
演劇「人類館」上演を実現させたい会編『人類館』(アットワークス、2005年)
佐渡山豊『HIRIHIRI』(CD、2004年)
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