2017年11月24日 1503号

【どくしょ室/亡国の武器輸出 防衛装備移転三原則は何をもたらすか/池内了、青井未帆、杉原浩司編 合同出版 1650円+税/「死の商人国家」でいいのか】

 安倍政権は、成長戦略の一環に武器輸出をすえている。本書は、人を殺す武器の輸出を「国家の成長戦略」にしてよいのか、と問題提起している。

 1967年、ペンシルロケット輸出問題が国会で取り上げられる中、対共産圏、国連決議による武器輸出禁止国および紛争国への武器輸出を禁止する「武器輸出三原則」の政府見解が生まれた。当初は、武器輸出そのものは禁止されないという立場だったが、76年には「三原則対象地域以外の地域については、憲法および外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、『武器』の輸出を慎む」と厳格化。さらに81年、「武器輸出問題等に関する決議」が国会で採択され、武器輸出の原則禁止が図られた。

 この経過には「平和国家」として武器を輸出することは許されないという国民の声が背景にあり、戦争放棄と戦力不保持をうたう憲法9条の平和主義の原則が武器輸出の手足を縛ってきた、と本書は指摘する。

 政府自身も武器輸出を憲法問題ととらえていたことは、中曽根内閣が83年、三原則を緩和した時、「対米武器技術供与は武器そのものを輸出するわけではないから憲法違反ではない」と弁明したことからもわかる。

 三原則の緩和が大幅に進められたのは民主党野田政権下であった。それまで三原則の例外を認めるかどうかを事例ごとに判断していたものを、「我が国の安全保障に資する場合、防衛装備品の国際共同開発・生産は例外とする」と官房長談話を発表して「包括的例外化」を行った。「原則と例外の逆転」であり三原則を骨抜きにしたのである。

 国民的議論抜きに三原則を形骸化してきた流れを加速させたのは安倍政権だ。2014年「防衛装備移転三原則」の閣議決定で武器輸出を全面解禁。15年には、武器の研究開発から設計、量産、調達、武器輸出などを一元的に担う防衛省の外局として防衛装備庁を誕生させた。戦後、武器輸出三原則の下で「例外」とされた武器輸出は21件だったが、15年だけで許可された武器は65件に上る。

 政府は日本を武器輸出大国にしようと様々な施策を打ち出している。武器製造企業への政府資金融資、外国の武器製造企業への投資・買収の解禁、ODA大綱見直しを通じた武器援助の解禁など武器輸出三原則の下で禁止されていたことが次々と解禁されている。

 また、武器研究開発のために防衛省から大学、研究機関への資金提供が急増している。「軍産学共同」が急速に拡大している。

 平和憲法のもと、武器を輸出しないことで世界の平和構築に貢献してきた日本が、国際紛争を助長する国家に変貌していく。本書は、憲法9条の理念を踏みにじる武器輸出に抵抗する市民の行動で「死の商人国家」の道をふさごう、と呼びかけている。    (N)
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